1968年のバイク世界一周旅行

その96


ボンベイ 走行三万キロ


インドに入ると道路には人と白い牛があふれ、
思うようなスピードで走れなかった。
茶店で休んでいると、ボロボロの衣類をまとった大人や子供が
バイクを囲み、何か雰囲気のおかしい動きをしているのが目に入った。


私は飲みかけのティを置き、バイクへ走って戻ると、
彼らはバックミラーを引きちぎって、散るように逃げ始めた。


そこへ一台の車がスピードも落とさず、私のバイクから逃げ出した
人々を蹴散らすように走り抜け、一人の少女がはねられた。
そして、裕福そうなその車の運転手は止まりもせず、
そのまま走り去った。
この光景を目にしたとき詳しいことはわからないが、
インドのカースト制度の一端を見たような気がした。


インドのニューデリーに着いたのは1968年12月1日だった。
ここも道路は人、車、白い牛の大洪水であった。
イランから、アフガニスタン、パキスタン
そしてインドへと大分南下したので、
温かいのではないかと思っていたが、朝の気温は零度まで下がり、
日本の真冬並みに寒かった。


ニューデリーという大都会のレストランに入っても
フォーク、ナイフは出さないので
「手で食べるのは汚いので、フォークナイフを貸してくれ」と言うと
「日本人はおにぎりを素手で食べるし、アメリカ人はハンバーガーやパンは素手で食べる。それと同じだ、何が汚い!」と言い返され、何も言えなかった。
国により、それぞれの文化があり、それを理解すべきだと思った。


ニューデリーで二日ほど過ごし、イスラム文化の建物で有名なタージ・マハルのある約二百キロ南東のアグラを目指した。
このタージ・マハル周辺は奈良の東大寺と雰囲気が似ており
落ち着いた気分になった。