1968年のバイク世界一周旅行

その33


痛いのを我慢してルート66のフラッグスタッフへ
ゆっくり目指したが、痛さに我慢できなくなり、
途中のモーテルへチェック・インし、
そのまま眠り込んだようだ。


ドアをノックしてカギを開ける音に
目が覚めた。
ドアが開き、年老いた黒人女性と一瞬目が合った。
彼女はこのモーテルの掃除夫だった。


着替えもせず、ベッドに横になっている私を見た
その掃除夫は驚いたのか、慌てた様子でその場を去り、
直ぐ、このモーテルの中年女主人と
私の部屋へ飛び込んできた。


朝になっていた。
初めて経験したバイク事故のショックと傷の痛み,
それにツーリングの疲れが重なり、
革ジャン、ズボンも脱がず寝てしまっていた。


彼女たちに手伝ってもらい、着替えようと裸になると、
右足ふくろはぎに、五センチ四方ぐらいやけどを負い、
へその右側を八センチほど、ズボンのベルトで擦り剝いていた。
下着は傷口にへばりつき血に染まっていた。
今日一日、休んだ方が良いという彼女らの忠告も聞かず、
その場で応急処置をしてもらい、
お礼を言って、再び、フラッグスタッフのルート66へ戻った。
砂漠地帯のアリゾナではあるが、この辺りは赤松の林が続き、
高原地帯で、風もさわやかで、快適に走れ、
徐々に傷みも和らいできた。


道幅の広いルート66は、カーブも少なく走りやすかった。
給油や食事を摂る時は、ルート66を降りて
あえて小さな町へ入った。


昔は賑わっていたと思える、町の建物の多くは朽ち果て
死んだように静かであった。
それが、反面、古き良きアメリカを想像させ、
懐かしさを感じさせた。


ロサンジェルスを出発して三日目、
給油したり観光したりしながら、
すでに八白キロほどアメリカの内部へ
入り込んでいた。


「数日走り、疲れ、またロサンジェルスへ戻ってくるんじゃないか」と、
知人に冗談交じりに、言われていたので、事故を起こしたとき、その言葉が頭を過った。