1968年のバイク世界旅行

その38


テキサス州に入ると西部劇映画によく出てくる
風車を広大な農園でよく見かけた。


せっかくのアメリカ大陸横断だから
できる限り多く、日本ではめったにお目にかかれない
アメリカらしい写真を撮ろうと思っていたが、


アメリカに四年も住んでいると、
アメリカの風景に慣れてしまい、
どれがアメリカらしい風景か、わからなくなっており、
途中、ほとんど撮っていなかった。


だが、あのテキサス独特の風車を見ると撮りたくなった。


今なら簡単に携帯できるカメラがあるが
当時のカメラは重く、首にぶら下げて長時間走れる代物ではなく、
振動でカメラが壊れないように
毛布を風呂敷ぐらいの大きさに小さく切り、
それにカメラを包んでバックに入れ、
後ろの座席に積み、落ちないように細いロープで何重にも
巻かねばならず、一日に何回もカメラの出し入れに
時間をかけるのが面倒くさく撮らなかった。


この風車は西部開拓時代東部から移住した開拓民が
水のくみ上げるに使用するために作っていたもので、
今も節電のため利用している。


中西部の片田舎のガソリン・スタンドで給油していると、
車に給油している若者たちが、私のバイクのナンバープレートを覗き込み、
「本当にカリフォルニアから来たのか?」と驚いた表情をするので、
「海を見たことがあるか?」と聞くと、
「ない。海の水は塩辛いそうだ」と笑った。
東へ行くほど、若者だけでなく、
大人までが私のナンバープレートに気づくと、
私がカリフォルニアから、バイクで走ってきたことを知り、驚いていた。


今思うに、あの頃、いたであろうが、
私は、旅する若者を見たことがなかった。
旅しているのは、ほとんど退職した年金者だった。


そのため、アメリカ人は老後をエンジョイするため、
若い時は遊ばず、一生懸命働く国民だという
概念を私は持っていたので、
若い私が優雅に?バイクでアメリカ横断旅行
していることに、何か心苦しく、気恥ずかしさを
感じながら走っていたことも、事実である。