1968年のバイク世界一周旅行

その41


アリゾナ州キングハムから一直線に東へ延びてきた
ルート66は、ここオクラホマ・シティから北東、
時計の二時の方角へ曲がり、シカゴへと延びている。
まだ、シカゴまでは千三百キロほどある。


夜半、雷は鳴りっぱなしで、朝になっても雨は無常に振り続け、
モーテルの窓から、雨にさらされているバイクを眺めていると
出発する気にならなかった。


何度も、テレビの天気予報を見てみると
オクラホマ州の北、カンザス州方面は曇りだという。


何時止むかもわからない雨を
モーテルで待っていても仕方ないので
意を決しルート66から、ルート35へ乗り換え雨の中
北へカンザスを目指し走り出すと緑も多くなった。


この辺りのハイウェイは一九三〇年代の禁酒時代、
銀行強盗をしたギャングどもが、ピストルや機関銃を
ぶっ放しながらパトカーの追跡をかわしながら
「大逃走劇」を演じ、


今にもエンストしそうなフォード車に、家財道具を満載し
豊かな生活を求めカリフォルニアを目指した「怒りの葡萄」の
主人公たちの舞台になったところであるが・・・。


降りしきる雨の中では、彼らの時代を思い浮かべる余裕もなく
びしょ濡れになり、いらだつ気持ちをジッと堪え、
雨宿りする場所もない牧草地帯をウィチタ経由カンザスシティへと
少しずつ距離を稼ぐだけだった。


カンザス・シティは、ミズーリ河を挟み、
カンザス州カンザス・シティと
ミズーリ州カンザス・シティとに分かれており、
カンザス州のカンザス・シティがメインかと思ったが
そうではなく、ミズーリ州のカンザス・シティがメインで
人口もこちらの方が多く、説明を書くだけでも混乱する。


本当かどうかわからないが、
「あいつはカンザスだ」とアメリカ人は言うことがあるらしい。
「彼の言っていることは、本当かどうかわからない」という
意味らしい。
この言い回しはカンザス人が、カンザス・シティの説明が曖昧だからそうだ。
ちなみに、広島、長崎に原爆投下を許可したトルーマン大統領もカンザス出身である。