1968年のバイク世界一周旅行

その48


リスボン行き客船の予約を済ませた後、バイクの最終整備をするため、ハドソン川の下にあるリンカーン・トンネルを抜け、
ニュージャージー州のチェリーヒルのヤマハ工場へ行き、
その日は、チェリーヒルのモーテルに泊まった。


翌朝、六月八日、ロバート・ケネディの葬儀を見るため、
ニューヨークへ。バイクは駐車場に預け、革ジャン、皮ズボン姿にヘルメットを抱え、群衆で大混雑のロックフェラーセンター前の、セント・パトリック大聖堂へ行った。


多くの警官や警備員が物々しく警備にあたり、
歩道から大通りへはみ出す群衆を汗だくで押し返していた。
群衆は車から降りて大聖堂へ向かう著名人を一目見ようと、
大波のように動き出した。
私もその群衆に飲み込まれ、大聖堂へと押し流され、
当時のジョンソン大統領や、のちの大統領ニクソンなど
多くの著名人を見ることが出来た。


葬儀の後、ロバート・ケネディの棺を乗せた黒塗りの車は、ゆっくりと私の前を通り過ぎた。
それに次いで参列者の車も後を追うように、ゆっくり動き出したが、突然止まり、警官や警備員が銃を構え走り出した。


群衆の中から、本当かどうかはわからなかったが、
「あの建物の上から狙撃しているらしい」と言う声が聞こえた。


たまたま私の前に止まった車に、
ダラスで暗殺されたケネディ大統領の夫人ジャクリーヌと
二人の子供が乗っていた。


十歳前後の男の子と女の子が、後ろのシートでふざけ合って遊んでいたようで、ジャクリーヌ夫人は、子供たちに静かにするようにと
たしなめているようだった。


その男の子は一九九九年、飛行機事故で亡くなったケネディ・ジュニア、女の子は元駐日大使のキャロライン・ケネディであった。


ロバート・ケネディの棺はセントラル駅から汽車で
ワシントンのアーリントン墓地へ搬送されたが、
何百万人もの人が途中線路わきで見送り、数人がこの列車に接触して死亡するという事故もあった。


一九六八年六月八日は
バイク旅行中、私の人生で最も記憶に残った日である。