1968年のバイク世界一周旅行

その53


リスボン バイクはナポリへ


「チン、チン、チン」と、心地よい音に、私は目覚めた。
ベッドわきの窓を開けると、向かいの建物に挟まれた狭い石畳の坂道を電車が下っているのが目に入った。


雲一つない紺碧の空、朝日が前の建物に反射して、
二階にある私の部屋へ射し込み、気持ち良い、
さわやかなリスボンの朝であった。


前夜は下船に手間取り、このB&Bに着いた途端、
疲れが出て、すぐベッドに入ったが、
このB&Bは古いが、手入れが行き届いた、十畳ほどの部屋に
年代物のベッドとバスタブが備えつけられ、
窓の外の小さなテラスには、色華やかな花の小鉢が並べられ、
南欧風のスペイン瓦の街並みが遠望でき、


ベッドへ運ばれてきたコンチネンタル・ブレックファースト(朝食)付きで一泊三ドルという安さだった。
アメリカとは景色も違い、物価も安さに
ヨーロッパに来たという実感が湧いてきた。


身支度をしているところへ
船会社の若い社員が迎えに来たので、
いっしょにバイクを引き取るため、船会社へ出向いた。


船会社に行くと、昨夜船にいた社員が出てきて、
「バイクを船から降ろすのを忘れた」と申し訳なさそうに言った。
ギリシャの客船は、私のバイクを積んだまま、
イタリアのナポリへ航海中であると言う。
私は一瞬、自分の耳を疑った。
昨夜私が確認したとき
「大丈夫だ」と言ったプロの船会社の社員が、
バイクを下ろすのを忘れたと言った。


ヨーロッパに上陸した前夜から、続けさまに不慮の事態が起こった。 
客船は二日後にナポリに着くと言った。
十日ほどすれば、その客船はアテネから折り返し、
ニューヨークへ向かう途中、リスボンに寄港すると続けた。


それまで待つか、それともナポリまでバイクを取りに行くか
ということであった。


アメリカでもバイクが壊れ、修繕にするのに
三日ほど待った経験があるので、
三日ぐらいなら、リスボン市内や近郊を観光して時間を
つぶせるが、十日も待つのはできなかった。


ナポリまで、取りに行くから、飛行機代を出せと交渉するが
アテネの本社の承認がないと出せないと言った。
本社との交渉など、電話一本でできそうに思えたが
そう簡単には行かない事情がありそうだった。


本社からテレックスの返事があるまで、
観光へ行かないかと、私をB&Bまで迎えに来た社員が
車で私を連れだした。


「どこか、見たいところはあるか」と聞くので、
「ヨーロッパの最西端、ロカ岬を見たい」と言うと、
「いや、ヨーロッパではなく、ユーラシア大陸の最西端だ」と、彼は強調した。
見渡す限り青い空と紺碧の海が広がるロカ岬には
「ここに地の果て、海が始まる」と刻まれた石碑があった。
それを見たとき、本当にバイクでアジアまで行けるか
ということよりも、
バイクが無事手元に届くかどうかが気になった。


私を観光案内した社員と話していると、
「カステラ」、「コンペイトウ(金平糖)」、「パン」、
「ブランコ」、「キャラメル」など、少し発音は違うが、日本語と同じようなものが多く、ポルトガル文化が日本へ伝わったことが分かった。
船会社のリスボン支店へ帰っても、
本社からの返事は届いていなかった。


翌朝、本社から、飛行機代支払いに関するテレックスが届いていた。
飛行機代は、私がアテネに着いたとき支払うので、
自分で立替えておいてくれと言うものだった。
客船は、その日ナポリ港に着くので、
テレックスの控えをもらい、バッグとヘルメットを抱え
リスボン空港からナポリ行き、アイタリア航空に乗った。