1986年のバイク世界一周旅行

その66


その部屋の横には、静まり返った
体育館のような広い部屋があった。
二人の兵隊の一人が、私を連れ出し、
その部屋の片隅にあるベンチに、座れと言って立ち去った。
私は、この先どうなるのだろうかと、不安を抱えながら
肩を落とし、しゃがみ込むようにベンチに腰を下ろした。


十分ぐらいだっただろうか、私には結構長く感じられたが、
軍服姿の三十過ぎの女性が、
「パスポート」と無表情に言って、
私のパスポートやトラベラーズ・チェック、現金、
それに、名所旧跡を記録したノートなどの入った
バッグを手に部屋を出て行った。


私は東ドイツの法律に反することは、何もしていないという
確信はあったが、もし、このまま東ドイツに拘束されたらと、
益々不安が募ってきた。


今、私が東ドイツ兵に拘束された。
このまま拘束が続けば、時間とともに、
私の家族はそのうちに、私が行方不明を知り、
私を探し始めるだろう。


私は旅の途中、家族に便りは出していなかった。
私の手がかりとなるのは、ハンブルグの安宿の地下に駐車した
バイクとハンブルグ空港から西ベルリン行きに乗った
パン・アメリカン空港の乗客名簿だけであった。


私はベンチに腰掛けながら、想像もしなかった事態に巻き込まれ
悪いことばかりが頭を横切っていた。
私のパスポートには、アメリカの留学ビザが記載されていたので
アメリカのスパイと疑っているのだろうか、
そんなことは映画の中での話であると、
真剣に思いを巡らせていた。


しばらくして、奥の狭い事務所へ連れて行かれた。
そこには数人の将校が座って、
日本語で書いた私のノートを眺めていた。


彼らはノートの説明を求めたので、
私は世界を回って観光ガイド・ブックを
出版するつもりだと、英語で詳しく説明した。
彼らは私の意図を理解したらしく、
一時間ほどベンチで待たされたが、
「西ベルリンへ戻るか、それとも列車でハンブルグへ戻るか」と聞いた。
この時、初めて、英語を話せることのありがたさを感じた。


その後、また二人の兵士に囲まれ、
ハンブルグ行きの列車に乗せられた。


今では記憶にないのだが、
私が、どうして東ベルリンからハンブルグ行きの
列車に乗れたのかだろうか?


列車は東ドイツ領の広々とした農村地帯を西に
向かって止まることなく走り続けた。


広大な農耕地では大型の農耕機を使って
農作業をしている農夫や、手伝いをしている子供たちが
列車に向かって手を振っているのが印象的だった。


一度だけ列車は止まった。
そこは東西ドイツの国境であった。
旧ドイツ軍のナチ親衛隊のような軍服、
腰にピストルを携えた東ドイツの兵士が数人
列車に乗り込んできて
東ドイツから西へ亡命するのを防ぐためか
乗客のパスポートをチェックし始めた。