1968年のバイク世界一周旅行

その92


西のヘラートから南へ、米国の援助で作られた砂漠のハイウェイを
アフガニスタン第二の都市カンダ―ルへ向かった。
そこから北へ向かうと首都カブールである。


当時、私が乗っていた乗っていたヤマハYM1のバイクは
ガソリンとオイルを混ぜた「混合」が燃料であった。


イランでは「混合」の給油の場所もわかるようになり
困らなくなっていたが、
アフガニスタンではガソリンは何とか手にはいたが、
オイルが手に入らず困り果てた。


思案の上、荷物を満載して砂漠を走る古いトラックを停め、
運転手と交渉して、高い運転手の言い値で
トラックが使っている汚いエンジンのオイルを抜き、
それを購入するしか手がなかった。
その使い古しのオイルを燃料に使うと、
私のバイクは、恐ろしいほどの排気ガスを排出しながら走った。


明日はカブールに着くという前夜、
砂漠の道路端にある粘土造りの空き家で寝ていると、
ターバンを巻いた五、六人の男たちに襲われた。


突然のことで、私はタダ大声を上げ、
予備に持っていたバイクのチエーンを
無我夢中に振り回すと、
侵入した男たちも、私の大声に驚いたのか
一瞬のうちに闇の中へ消え去った。


ほんの数秒間の出来事で、何が起こったのかも判断できず
全く恐怖感もなかった。


そのあと一睡もせず朝を迎えると、
シャツに少し血がついていた。
襲ってきた男たちのナイフか、私が振り回したチエ―ンで
傷ついたのかわからなかったが、右目の上に少し痛みを感じた。


パスポートとトラベラーズ・チェックは
いつもブーツの底に押し込んで寝ていたので、
盗まれなかったがが、
土産にと買っていたケネディ・コイン(1965年までは銀製であった)とチャーチル・コイン100枚ほど盗まれた。
たった一枚、小屋の前に落ちていたのを
今も鮮明に覚えている。


空き家から200メートルほど離れた
砂漠の遊牧民のパオ(包)から
私に目を向けている数人の人影見えた。
奴らが襲ってきたのに間違いなかったが、
どうすることも出来ず、
シッポを丸めた負け犬のように、その場を立ち去り 
洗面所を使わしてもらうため、カブールの日本大使館へ向かった。


大使館で昨夜の顛末を報告すると、
「命があっただけよかったですね。殺され、砂漠に埋められていたら永遠にわからないところでしたね」と言われ、
初めて恐怖を感じた。