1968年のバイク世界一周旅行


その20


事務所に行くと、
下宿屋の主人から電話があったと、
武藤さんという七十過ぎの
日系人が出迎えてくれた。


墓の葬儀一切は
白人のスタッフ三人が仕切っており、
武藤さんは八十エーカー(九万六千坪)の墓の芝刈りなど
清掃を契約で請け負っていた。
気持ちが悪いのか、
墓で働く者はいないらしく、即、採用された。


時給一ドル七十セント、
勤務時間は午前七時から午後四時までであったが、
学校があるなら
十二時までで良いと、願ったり叶ったりの条件で、
翌日から働くことになった。


仕事仲間はボスの武藤さんのほか三人いた。


鈴木は三十五、六歳、
東京の会社から派遣されたロスアンジェルス駐在員だったが
給料が安いので会社を辞め、この墓で働いていた。
独身で、いつも上半身裸で働き、口から生まれたような
冗談好きの元気者で、日々が楽しければ
それで良いと楽観的な男だった。


ヨギはアメリカ生まれの沖縄育ちの「帰米二世」。
ベトナム戦争の激化で、
いつ徴兵されるかわからないと不安で、
定職にも就かず、ここでバイトしていた。


ナカソネとタマシロはペルー三世で
日本語はほとんどわからなかった。
ナカソネは大学で法律学ぶ学生で
弁護士になるのが夢だった。


タマシロは若い妻と密入国しており、
アメリカで生まれたばかりの子供がおり、
アメリカ生まれの子どもがおれば
アメリカの永住権がとれると
喜んでいた。
鈴木以外は皆同年輩、24,5歳であった。


武藤さんは穏やかなボスで、うるさくもなく
仕事は時間に追われることもなく
のんびりと、
九万六千坪の広大な墓地の芝生を 
大雑把な計画表に沿って、手押しの芝刈り機で刈り、
枯葉やゴミをホウキでかき集めるなど
簡単な仕事であった。


七時に仕事をはじめ、九時になると休憩であった。
皆で金を出し合って、ドーナツやコーヒーを買い、
パームツリーの下、墓石や芝生に
座っての思い思いの休憩をとった。