1968年のバイク世界一周旅行


その26


私の一日のスケジュールは
朝早くから、夕方四時まで働けるようになり、
少しは収入も良くなったが、
仕事と学校と、時間的には寝るまで
英語学校時代と何ら変わらなかった。


大学では毎週一冊の教科書を読み、
レポート提出が義務づけられ、
その上、墓の仕事だけでは、月八十ドルの授業料が
払えないので、土日はガ―ディナーのヘルパーや
ガソリン・スタンドで働き、遊ぶ暇はなかった。
友人たちと会うのも、日本人町に食事に行ったとき
ばったり会い、立ち話するぐらいだった。


日本では学校時代も、会社でも生きていく目的もなく、
ただ、だらだらと希望もない生活の日々で、
存在感がなく、何も楽しい思い出はなかったが、
このまま一生を終えるのは、
人間としてダメだと気付き、
自分の人生を立て直そうとアメリカ留学した。
帰国後は、会社に求められる人間、存在感のある人間
になろうと目標があったので、
もうこんな苦しい生活からは逃げ出したい
という気持ちは全く起きなかった。


今思うに、当時、私の日々は
修行僧のようなストイックな生活に
思えるかもしれないが、
目標のあった私は悲壮感もなく、
良い経験の日々だった。


そのころ(1964~68年)のアメリカは国内に
白人と同等の権利の保障を要求する運動、
マーチィン・ルーサー・キング牧師が指導した
公民権運動、黒人暴動の頻発、


外に対してはベトナム戦争の激化、 
学生の反戦運動と
1950年代の「豊かで静かなアメリカ」は
すで消え失せていた。


だが、
「ア・ハード・ディズ・ナイト」
「サウンド・オブ・サイレンス」
「マサチューセッツ」
「アンチェインド・メロディ」
「風に吹かれて」
「花はどこに行った」
など、音楽は黄金時代だった。