1968年のバイク世界一周旅行



その28


しかし、予算を計算すると
この金額ではとてもインドまで
車で旅行するのは不可能と分かった。


ある日曜日、
隣室のAさんにばったり会い、
雑談の中で、私の旅行の話になった。
すると、Aさんはバイクで行くことを勧めた。


彼は私と同年配、若いヤマハのロサンジェルス駐在員で、
彼の奥さんは、まだ、アメリカでも一般家庭には
ピアノが普及していなかった時代、
昼間から、彼女の弾く素晴らしい音色が、
時折、部屋から流れていた。


私はバイクなど乗ったこともなく、
興味もなかったが、
旅の費用の計算していくうちに
バイクなら旅費に関しては、問題なさそうであったが、


ヤマハがバイクを生産し始めて、
九年前後、バイクの修理屋も少ない時代、
故障したときはどうするかと、問題が出てきた。


Aさんは、ロサンジェルスの東Monterey parkのヤマハ工場で
簡単なバイク修理実習も提供すると申し出たので、
それではと、ヤマハのバイクを購入することに決めた。


早速、一九六八年一月、
当時、もっとも排気量の大きかった
アメリカ向けバイク、三〇五CC「ヤマハYM1」を
七五〇ドル(二十七万円)で購入、
東部に春が来る
五月ごろ出発することにした。


ほとんど、学校と仕事だけという
四年間の生活パターンだった私は
この二つを辞めると、経験はないが、刑期を終え
刑務所から出てきたような開放感を
全身で感じ、
初めて、ロサンジェルスに住んでいることを、
実感した。


反面、学校と仕事だけの生活に
縛られていた習慣が抜けきれず、
体は健康だったが、脳の回路が鈍く
なったのか、日々の行動範囲を
思うように広げられなくなっていた。


常識的にはアメリカ大陸横断という
長距離を走るための
体力造りや走行訓練をすべき
かも知れなかったが
何の力みもなく、日々の生活手段に
車代わりにバイクは使っていた。


冒険とは
堀江健一のようにヨットで自然の猛威を相手に
大海原に立ち向かい、途中で後戻りのできない
挑戦を言い、
地に足の着いたエベレスト登山やバイク旅行など
危険と判断すれば止めることのできる。


バイクで世界一周など、
金と暇さえあれば、誰でもできるので
冒険とは思わない。