1968年のバイク世界一周旅行

その29


アメリカ大陸横断へ


バイクは単に
世界旅行に使用する交通機関
だと思っていた。
バイク旅行の経験もなく
何を準備すべきか考えることもせず、
金さえあれば、
必要なものは途中で買えば
良いのであって、


大事なことは、不測の事態に
如何に臨機応変に対処するかである。


アメリカ生活も四年、
すでにアメリカに慣れていたので
アメリカ大陸横断旅行という気負いなく
日本国内を旅するような気分でいた。


たとえ、旅先のことを調べようと思っても
日本語の海外旅行ガイドブックも
手にはいらない時代だった。


だから、この旅行を通じて
いろいろなところを観て、日本に帰ってから
世界旅行ガイドブックを作り、
一儲けしようかと、ひそかに思っていた。


暇に任せサンタモニカやレドンドビーチへ釣りに行き
解放感を味わっているうちに、
五月になり、急ぎ身の回りを整理しはじめた。



一年中ほとんど晴れのロサンジェルスに雨が降り、
太平洋から、さわやかな風が、
ロサンジェルス一帯の大盆地を吹き抜け、


街全体を覆っていたスモッグは
北の丘陵地帯へ押し流され、
ロサンジェルスを囲んだ山々が、
くっきりと浮かび上がり、
街の名のごとく「天使の街」となった
一九六八年五月十九日、
二千二百ドルほどのトラベラーズ・チェック、
カメラ、下着などを詰めた布製のバッグを
バイクの後ろに積み、
住み慣れたロサンジェルスのアパートを後に
ニューヨークに向け出発した。


まず、シカゴまでは出発前から
ルート66を走ると決めていた。


一九六二年、NHKで放映された
青春アドベンチャー・ストリー「ルート66」、
ロサンジェルス・シカゴを結ぶルート66と呼ばれる
ハイウェイを、二人の若者が
コルベット・スティングに乗って旅しながら、
途中で出会う様々な人物と事件、


それに、ナット・キング・コールの主題歌
「ゲッツ・キックス・オン・ルート・シックスティ・シックス」
が鮮明に記憶として残っていたことも一因であるが、


作家ジョン・スタインベックが「怒りの葡萄」に描いた、
あのルート66を旅してみたいと
前々から思っていた。


この小説は、カリフォルニアへ移住する
オクラホマの貧農一家が、偏見や貧困という
様々な問題を乗越え、
明るい未来を求め西へ向かう内容の作品である。


その作品の中でスタインベックは、
このルート66を「マザーロード」と呼び、
克明に描いている。


だから、旅を始める前から
あの有名なサンタモニカからシカゴまでの
2,347マイル(3,755キロ)を走ることにした。


私にとって、他のルートを走ることは
考えられなかったし、全く興味なかった。


バイクを購入してから出発までの日々
一日で一番走った距離は100キロにも満たなかったが、
初日の目的地、ラスベガスまでは500キロほどであったが、
何の不安もなかった。


帰国して、航空会社や旅行者に
就職できれば話は別であるが、


米国に比べ賃金の安く、
土曜日も働き、
長期休暇も取れない
日本の労働条件下で、他の職種に就けば、


もう二度とアメリカに来るチャンスはないと思い、
「ビギナーズ・ラック」を経験したラスベガスで
もう一度の「ラスト・チャンス」をひそかに期待し
初日はラスベガスに泊まることにしていた。