1968年のバイク世界一周旅行

その45


四十キロ先のオールバニーまで、
重いバイクを押していくのは不可能である。
バイクをハイウェイ脇に置いたまま、
ヒッチハイクしながらオールバニーまで行き、
バイク屋と一緒に取りに来るしか手はなかった。


しかし、雨の降りしきるハイウェイに立っていても、
車は来なかった。
時たまヘッドライトが近づいて来るが、ワイパーを忙しそうに振り動かし、水しぶきを私に思い切りかけながら、無常にも目の前を通り過ぎて行った。


周りには民家もないハイウェイで夜を明かすことなど、
私にはできなかった。


私は降り注ぐ雨の中でびしょ濡れになりながら、
身動きもせず、西の方を凝視して、近づいてくるヘッドライトの光を待った。二十分ほど立っていただろうか、
私にはとてつもなく長い時間のように感じられたが、
私の前を通り過ぎた小型トラックが,少し行き過ぎて停まり
ゆっくりバックしてきた。
私は寒さで震えながら、運転席から顔を出した同年輩の若者に事情を話し、
二十ドル払うから、オールバニーまでバイクと私を乗せてくれないかと交渉すると、
「OK!」と言って、
私をオールバニーのモーテルまで連れて行ってくれた。 
当時の二十ドルは、今の二百ドル(¥20,000)ぐらいである。


翌朝、電話帳で調べたバイク屋の作業着を着た
中年の男が小型トラックでバイクを引き取りに来た。


しかし、クランクケースのバイク屋には予備がなかったので、
ヤマハのニュージャージー州、チェリーヒル工場から
取り寄せなければならなかった。


その日は金曜日であった。土日、工場は休日である。
バイク屋は、すぐヤマハに電話して、至急、クランクケースを
送付するように頼んでくれた。


何もすることない、金、土、日の長い、長い忍耐のいる
三日が終わった。
月曜日の朝、バイク屋へ行くと修理は最終段階であった。