1968年のバイク世界一周旅行


その55


アフリカ大陸行きをあきらめ、
ナポリから北へローマを目指すことにした。


本格的なヨーロッパ・ツーリングの始まりだった。
地図を見入ると、ナポリ・ローマ間は、たったの二百キロで、
アメリカ大陸を横断した私には、非常に短い距離だった。
葡萄畑やオリーブ畑などの中を通る、
イタリアの高速道路E45を北上した。


日本のそれとよく似た高速道路の路肩には、
多くの若いヒッチハイカーが、
リックやシャツに自国の小さな国旗を縫い付け、
行き先を書いた大きな画用紙やダンボール紙をかざし、
いつ止まってくれるかわからない車を待っていた。


その中に小さな日の丸の国旗を
登山用リックに縫い付けた、日本人ヒッチハイカーが目に入った。
私は路肩にバイクを止め、彼に声をかけた。
彼は私が走り出してから、初めて会った日本人であった。


彼は東京の大学生で、学生運動が激しく大学は封鎖され、
ノンポリ学生の多くは、安いソ連のアエロフロート航空やシベリア鉄道でヨーロッパへ渡り、ヨーロッパ中をヒッチハイクするのがブームになっており、
彼も鉄道でシベリアを横断、ヨーロッパ中をヒッチハイクして
楽しんでいると言った。
ローマへ行くなら、一九六〇年ローマ・オリンピック開催の選手村が、そのあとユースホステル(YH)になっており、
宿泊代も安いので、そこに泊まることを勧めてくれた。


私が彼に会った時、すでに二時間も乗せてくれる車を
待っていたそうだが、
一日中待っても、乗せてもらえないこともあると、苦笑していたが、それも、若い時のいい経験になるだろうと思った。


「全ての道はローマに通ず」と謳われた、永遠の都ローマ市内に入ったが、
アメリカの東西南北区画された道路に慣れている私は、
この古い都市の道路は入り組んだり、曲がったりしており、YHを探すのに苦労した。


テヴェレ川に近い白ペンキで塗られたYHは、ベッドも清潔で、
宿泊料もアメリカの一泊七、八ドルの安モーテルに比べても、
二ドルと安く気に入った。 


アメリカでは一日十五ドルの予算で旅していたが、
ヨーロッパでは五ドル前後でできそうだった。
アメリカ・ドルを持って旅している私には、
このドル価値の高さは、うれしい誤算であった。


私のベッドの隣に、ヒッチハイクでカナダを横断して
ヨーロッパを旅行している同年配の日本人がいた。
私は彼と二日間ほど一緒にローマ市内を観光し、
一日先に彼はヒッチハイクでフレンッエへ旅立った。


オードリー・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」で
有名になったトレビの泉は、映画を見なかった人には
何も変哲もない小さなである。


コインを後ろ向きに泉に投げ入れると願い事が叶うそうで、
一枚投げ入れると、再びローマを訪れることができ、
二枚投げ入れると大切な人と永遠にいられ、
三枚なら大切な人との別れが訪れるとか言っていた。


何処のコインを投げ入れると願い事が叶えられるのか
一円、五円、十円硬貨がやたらに多かったのが
印象的なトレビの泉だった。