1968年のバイク世界一周旅行

その57
 
ピザの斜塔は大聖堂の鐘塔として、一一七三年工事にかかったが、
十メートルほど建設したところで、傾き始めたが造り直しもせず、
そのまま建設を続け、約二百年後に完成したそうだ。
何故、造り直さなかったのかと、チケット売り場の係員に聞くと、


本当かどうかはわからないが、
造り直したら経費がかかる。
それより、このまま建設して、傾いていることが有名になれば、
観光客が多く来て,その塔上費で建設費が浮くからだと言った。


「お前も、塔のが傾いているから、見に来たのだろう。ピザの人間は賢いのだ!」と得意そうに言った。
ごもっともであった。
傾いていなければ、ただの鐘塔で誰も来ないし、
私も素通りしていた。


大理石でできた狭いラセン階段は、
七百年の間に多くの観光客が上り下りしているため、
すり減って滑りやすく怖かった。


ピザから地中海に沿って西へ走り、ジェノヴァのYHに泊まった。
この町は、アメリカ大陸を発見したコロンブスの
生まれ故郷であり、
物語「母を訪ねて三千里」の主人公マルコ少年が
母を探しにアルゼンチンへ出かけた港町でもある。


中世自治都市として繁栄を誇った歴史のある町らしく、
貴族の邸宅や庶民の住宅が、その雰囲気を残している町だった。


YHに泊まる楽しみは、ヨーロッパのヒッチハイカーとの
出会いであった。
カフテリアで夕食を済ませ、夕涼みを兼ね海岸へ出て、
分け隔てなく各国の若者が集い、
お国訛りの英語でコミュニケーションを取り、
旅に情報交換の場でもあった。


そして朝を迎えると、
再会を約束し、また、それぞれの目的地へと旅立った。