1968年のバイク世界一周旅行


その59


フランスの国境を越え、
スペインン第二の都市バルセロナへ入った。


テレビのCMなどで有名な、アントン・ガウディが一八八二年に設計した、サグラダ・ファミリア教会がまだ建設中で、
寄付を集めながらの工事で、いつ完成するかわからないと
町の人は言っていた。


街角で絵を描いている老人を後ろから眺めていると、
片言の英語で話しかけてきた。
老人はピカソが青年期バルセロナで過ごしたことや、
ピカソがどれほどエネルギッシュであるか
自慢そうに話した。


ピカソは生涯油絵、版画、彫刻など
約十六万四千点制作している。


十六歳から制作を始めたそうだから、
年間二千点、一日六点制作したことになる。
私はピカソの絵の良さはわからないが、
その制作に対するエネルギーのすさまじさには脱帽である。


バルセロナから右手にピレネー山脈を望みながら、
アメリカの中西部、アリゾナのような赤土の平原を
サラゴサ経由マドリッドへ向かった。


赤瓦に白ペンキの家が軒を並べる、小さな村の暑い午後、
道路には人影もなかった。
木陰の水飲み場で休憩していると、
どこからか、かすかにフラメンコギターの音色が流れてきた。
それを聴いていると、スペインに来た実感が湧いてきた。


スペインでもいろいろなところを観て回ったが、この小さな村の木陰の水飲み場で聴いた
フラメンコギターの音色が
最もスペインらしい風景として印象に残っている。


スペイン国内を観光し、北へピレネー山脈を越え
フランスへ向かった。


フランスとの国境の町サンセバスティアンまでは約三百五十キロ、
一日で走れる距離だった。
今は高速道路も出来ていると思うが、
当時は石畳の一般道路が多く、
スペインとフランスを分ける国境線ピレネー山脈は高度もあり、
寒く、レストランを兼ねた安宿に泊まる羽目になった。


翌朝、安宿を出るとすぐ下り坂になり、一時間ほど走ると
サンセバスティアンの町が眼下に見えてきた。


早朝だったので、道路には人影もなかった。
気持ちよく下り坂を走っていると、
突然トラックがバックで、ゆっくり道路へ出てきた。

一瞬のことで、ブレーキをかけたが間に合わず、
私の乗ったバイクは、横滑りしながらトラックの下を通り抜け、
ヘルメットが石畳の道路をガリガリと
摩擦音を響かせ横転してしまった。