1968年のバイク世界一周旅行

その61


ルーブル美術館の前で、カリフォルニアに住んでいたという
フランス人男性が私のバイクのプレート・ナンバーを見て
話しかけてきた。


私がフランス人は英語を話さないので、
レストランでは、オムレツばかり食っていると、愚痴ると、
彼は「フランス人は自分の国に誇りを持っており、英語で話しかけられると、わからないふりをするのだ」とウインクした。


そのような話を聴いたことがあった。
やはりフランス人は英語を理解しても
わからないふりをするというのは、事実のようであった。


相変わらず、フランスの名物料理だという、
オムレツを食い続けながら、パリの名所旧跡の観光を終え、
イギリスへ行くため、小雨が降り出した田園地帯を北へ、
フェリーの発着するル・アーヴァルへ向かった。


あえて、私がカレーからフェリーでイギリスのドーバーへ
渡らなかったのは、
この町の西に、第二次大戦末期の一九四四年六月六日、
英米連合軍が上陸した、
史上最大の作戦で知られるノルマンディ海岸があり、
私の世代の者なら、だれでもが知っている激戦地を
見たかったからだ。


小雨が降りやまぬノルマンディ海岸は、波も穏やかで人影もなく、
静まり返っていたが、
私の頭の中では、ほんの二十四年前の激戦
「史上最大の作戦」の場面が走馬灯のように
渦巻いていた。


今や日本人観光客の目玉商品の一つになっている
城のような修道院モン・サン・ミッシェルも
一キロほど沖合にあったが、
当時は、こんなに有名な観光地になるなど
知る余地もなかった。