1968年のバイク世界一周旅行

その62


ロンドン


ル・アーヴァルから約三時間、
フェリーに乗っている間、船員に頼み込み、
びしょ濡れになった体をエンジンルームで温めながら、
衣類を乾かした。


ド―バー港から一気にロンドンへ向け走り出したが、
日が暮れ途中のB&Bに泊まることにした。
久しぶりに英国訛りだったが、B&Bの女主人の英語を聴き、
気分的にもホッとした。


食事もオムレツから解放され、
朝食は「ツー・エッグ・ウイズ・ベーコン」にトースト・コーヒーとアメリカ式の食事に満足であったが、


彼女の主人は世界大戦中、日本軍の捕虜になり、
映画「戦場にかける橋」で有名になった泰面鉄道の工事で
過酷な労働と栄養失調で亡くなった
一万数千人の捕虜の一人だと憎らしそうな眼を私に向け言った。


オランダでも日本軍の捕虜になった人に、
日本軍の残忍さについて聞かされた。


日本では原爆投下やシベリア抑留の話は、戦後七十数年たった今も
語り継がれているが、
敵国捕虜が味わった苦しみについては、
ほとんど語られない。


私がバイクでヨーロッパ旅行した時は、楽しみも多かったが、
反面、まだ大戦の傷跡が残っており、
それに触れられるのを、恐れながらの旅でもあった。


バッキンガムの衛兵交代の儀式を見に行ったとき、
三十名ほどの日本のある県会議員のグループに会った。
彼らは、バイクでヨーロッパを旅行している私が、
珍しかったのか、
外国人観光客が多くいるバッキングガム宮殿前で、
有名人を撮るように私にカメラを向け、
名刺を押し付けられたりした。


周りの外国人観光客が、
「あなたは何者だ」と聞くので、
「映画俳優だ」と言うと、彼らも私にカメラを向け始めた。


議員さんたちを引き連れた添乗員が、
「ドイツに行ったら、ぜひ東ベルリンを見るように」と言った。