1968年のバイク世界一周旅行

その63 


1968年当時、ベルリンは東ドイツ領内で
東西ベルリンに分断されていた。
外国人は東ベルリンへ入ることができと聞き
是非ベルリンに行こうと決めた。


ダンケルク、アムステルダム


数日間、ロンドン観光に費やしやした後、
再びドーバー港からフェリーでカレー港に上陸、
東へ旅を始めた。


ドーバー港でフェリーに乗るまで時間があったので
売店を覗いていると、中近東の地図を見つけた。
それは本当に偶然であった。


リスボンに着いたときから中近東の地図を
探し続けていたが見つからず、
現代のように、パソコンもなければ、
ゴーグル・マップもない時代。
ましてや、中近東の観光ガイドブックなど、あるはずもなかった。
暗闇の中を手探りで進むような気持ちであった。


その大昔、ラクダの隊商が歩んだシルクロードとか
アレキサンダー大王が東方遠征した道などが
トルコから先インドまで、本当に途切れることなく、
残っているのだろうか、町はあるのだろうかと
凡人の私は心配であった。


地図は折畳式の新聞紙一ページほどの大きさのものであった。
道路は砂漠のようなダダ広い白紙に
単に線が引いてあるだけで、地名はその線のところどころに
記されている簡単な地図であったが、
インドまで道が続いておることがわかり、
私は暗闇の中を豆電球で照らして行くような
ほんの少し安堵した。


カレーの東約30キロ、ダンケルクである。
この町の海岸も大戦中、歴史に残る
大掛かりな救出作戦があった場所である。


1940年5月24日から6月4日までの間、
ダンケルクにドイツ軍に追い詰められた
イギリス、フランス軍の兵士約35万人を救出するため、
当時のイギリス首相チャーチルの命により
軍艦や民間の貨物船、漁船、ヨット、はしけなどを
総動員した史上最大の撤退作戦(ダイナモ作戦)
のあったところで映画にもなった。


夏の海水浴シーズンにもかかわらず、
小雨が降るダンケルクの海岸には人影もなく
激戦の面影を残す古いトーチカが所々、
寂しそうに残っているだけだった。


小雨が降る北海沿いを国とはいえ、
日本の県ほどの大きさしかない、
ルクセンブルグ、ベルギーを通過、
一日でフランスからオランダへ入り
アムステルダムのYHに着いたのは夜だった。


アメリカに比べ、ヨーロッパはこんなに小さいのかと、驚きでもあった。