1968年のバイク世界一周旅行

その64


翌朝、外へ出るとYHの周りは
「飾り窓(売春宿)」が軒を並べていた。
そのあと、いろいろなYHに泊まったが、
このYHの周りのことは、ヒッチハイカーの間では
有名な話でよく話題に出た。


アムステルダムは「アンネの日記」でも有名な街である。
アンネ一家八人が、ナチスの迫害から逃れるため
1942年から2年間隠れ住んでいた部屋が
博物館になっている。
アムステルダムでは、どこでもある運河沿いの四階建で
一階は倉庫、二階は事務所で狭い木造の階段を昇って行くと
三、四階に改造して、アンネ一家が隠れ住んでいた部屋があった。
隠れ部屋は本棚でカモフラ―ジュされ、部屋の中を見ていると
そこには、人間の本性とは何かという疑問を提示しているように思えた。


アムステルダムは運河のある平坦な美しい町で、
坂などなかった。
江戸時代末期、長崎市内にある坂を
人は「オランダ坂」と呼んでいた。
ポルトガルのリスボンは坂の多い町であるが
オランダには坂はなかった。


江戸時代の日本人はオランダやポルトガルのことも知らず、
単に蘭学の影響もあり、
きっと、日々、多くのヨーロッパ人が上り下りしていた坂を
「オランダ坂」と呼んでいたに違いないと、
運河沿いの風景を眺めながら思った。


オランダはライン川下流の湿地帯で、
国土の四分の一は海面に位置しているそうだ。


アムステルダム市街から北へ田園地帯へと出ると
運河沿いに点々と風車小屋のある美しい風景が広がった。
その風景を眺めながらオランダの北端、
ゾイデル海をせき止めた、長さ32キロの巨大な防波堤の上を
夏だというのに、真冬のような北海から吹き付ける
横殴りの強風に必死に耐えながら、ドイツに入国した。


すると、間もなくチエ―ンゆるみカシャ、カシャと
不愉快な音を出し始めたので、ブレーメンの自転車屋で修理して、
ハンブルグの安宿にチェック・インした。


その安ホテルには、その種の女性が多く宿泊していた。
ホテル前でフランクフルト・ソーセージを売っている
屋台のオッさんの話では、
この一帯がレーパーバーンという歓楽街で
ヨーロッパでは知らない人はいないほど有名で
「世界で一番罪深い一マイル」と称される場所だと言った。
かのビートルズも世界的に有名になる前は
このレーパーバーンが活動の中心地だったそうだ。
翌朝、西ベルリンへ行くことにした。