1968年のバイク世界一周旅行

その70


スイスのツェルマットからウィーンまでは約600キロ、
高速道路を走れば、一日で行ける距離であるが、
バイク旅とはいえ、ただ、闇雲に走っても面白くない。
二度と来ない素晴らしいところもあるかもしれないと
一般道を走ることにした。


九州や四国ほどの小さな国、スイスから
東西に長く伸びるオーストリアに入った。
西にスイス、北にドイツのバイエルン州、
南に高い山で国境を接するイタリア、
その麓、チロル地方をのんびりと
景色を楽しみながら東へ走った。


牛や羊が放牧された、緑の美しい牧歌的な景観や
家々の窓に飾られた、色とりどりの花々、
車もほとんど通らない小さな田舎道に
ちょこんとテーブルを出した小さなカフェ、
すべてが自然に溶け込み、旅情を誘い心が和み、
疲れると牧草で昼寝しながら、
ウィーンへ向けバイクの旅を続けた。


インスブルグから再びドイツ領経由、
ザルツブルグへ行く途中、小さな駅前の安ホテルに泊まった。
夜、何気なく窓のカーテン引き駅の構内を覗くと
人影も全くない暗闇の中に、
戦車を何十台も積んだ貨物列車が止まっていた。


当時、1968年、
チェコスロバキアは言論や集会の自由、市場経済の導入
など自由化政策の導入を推し進めていた。
この「プラハの春」と呼ばれる動きを封じ込めるため、
ソ連を軸とするワルシャワ条約機構軍が
チェコスロバキアへ侵攻するのではないかと
危機感があった。


多分、私が見た貨物列車に積まれた戦車は
NATO軍が警備のため、ドイツ・チェコスロバキア国境へ
移動するところだったのかもしれない。
1968年8月20日、この日は正確に覚えている。
オーストリアの隣国の首都プラハへ、ソ連が侵攻した日であるからだ。


ウィーンのYHでばったり、ボディガード君と別行動をとったという
水戸のMKさんと再会した。


私が彼女を誘い、二人でドナウ川のほとりを散歩し、
ロマンチックな夜を・・・と期待していたが
日本で待っている彼女の婚約者の話ばかり聴かされた。


翌朝、彼女はミュンヘンへ旅立った。
私はソ連軍の侵攻という歴史的な大事件に遭遇し、
好奇心旺盛な私はチェコスロバキア国境まで行ったが、
国境はワルシャワ機構軍の兵隊が
物々しく警備しており、ピリピリした空気が支配していた。
私は追い返されるように、ミュンヘンへ向かった。