1968年のバイク世界一周旅行

その71


ミュンヘンのビャホール


ミュンヘンのYHでチェック・インしていると
カナダをヒッチハイクして、今はヨーロッパを観光中の、
ローマのYHで出会った横浜のKが目に入ったので
声をかけると、ウィーンで別れた
水戸のMKと夕食を摂りに出かけるところだった。


KとMKは初対面だったが、
日本人の旅行体型が似通っているのか、
私にしても旅行中、同じ日本人旅行者に
何度もYHで会った経験があるので、
日本人のKとMKがこのYHで会ったことは、
取り立てて珍しくはなかった。


私がチェック・インするのを待ってもらい三人で
ミュンヘンの町へ夕食に出かけた。
ミュンヘンといえば市庁舎の塔にある
人形仕掛け時計とビールである。


我々は迷わず300年以上の歴史を持つビャホール、
ホフブロイハウスへ出かけた。


このビャホールは、ヒットラーがナチ党の旗揚げをやった
ことでも有名である。


天井の高い一階のホールは7000人も収容できる広さで、
我々も長い木製のテーブルに陣取り、
ミュンヘン名物の白ソーセージをおつまみに、
外国人観光客や地元の客と一緒に
巨大なジョッキになみなみと注がれたビールを片手に、
にぎやかに歌い語り合って楽しんだ。


そのあと、カフェへ出かけコーヒーを飲みながら、
お互いの今後の計画について語り合った。


三人とも中近東を横断して、インドまで行く話になったが
私は最初から、バイクで行くつもりだったが、
二人はバスで行こうとかと、具体的な話ではなかった。


しかし、8月は暑く、中近東など横断できないので、
涼しくなる10月中旬、ギリシャのアテネで再び会って、
その後、どうするか決めようということになった。


私は、リスボンからナポリまでバイクを取りに行ったときの
航空運賃、100ドルを立替えていたので、
それを受け取るため、アテネの船会社へ行く予定だったので
ギリシャでの再会案は好都合であった。


三人はミュンヘンで別れ、又それぞれの旅を続けることになった。
私は北欧三国を目指すことにした。