1968年のバイク世界一周旅行

その73


体調が良くなった私は、デンマークのヘルシンゲルから
フェリーで狭い海峡を越え、スウェーデンのヘルシンボルへ渡り、
スウェーデンの西側を走り、ヨーテボリを通り、
白樺の森が続く中を北東へ走り続けた。


9月に入っていたが、日本の感覚では、
まだ、夏だと思っていたが、
急に日が短くなり、白樺の森には冷たい風が吹き、
体が冷え切り、何度も道端で用足した。


よく経験したことであるが、
夕闇が迫り始め、宿を探そうとするが、すれ違う車も人影もなく、
民家さえ見当たらなかった。
あっという間に周りは暗闇になった。
宿を探しながら北上を続けていると、小さな光が近づいてきた。
自転車のライトだった。


バイクを止め自転車に向かって、
声をかけると、自転車も私に前に来て止まった。
巡回中のおまわりさんだった。
事情を言うと「オレについて来い」と彼は言って、
そこから狭い横道にそれ、数百メートル行くと、
森の中に立派な二階建ての民家があった。


彼が玄関の呼び鈴を鳴らすと、六十過ぎの知的な女性が出てきた。
そこはB&Bであった。
経営者の女性は、
「寒いから濡れたものを乾かしなさい」と暖炉に火を入れ、
私一人の食事を作り始めた。
彼女は木製の広いテーブルに食事を用意すると、
おもむろにテーブルのローソクに灯を点けた。


電気を消しながら、骨董品のような蓄音機のクラッシック曲のレコードをかけ、食事を摂っている私の前に座り、
「何時も泊まっていただくお客さんには、このようにして食事して戴いているのよ」と落ち着いた口調で言った。


ローソクの灯りだけの薄暗い部屋の窓をとおして、
下の方に小さく民家の灯りがちらほら見えた。


ビートルズの曲ならわかるが、柄にもなくクラッシック曲を聴き、
この知的な老女と会話しながらの夕食は、
映画のワンシーンのようにも思えたが、
その場をどう持たせるかに必死で、料理の味もわからなかった。


彼女は元教師で、すでに主人は亡くなっていた。
息子と娘はそれぞれ医師と弁護士として独立し
ヨーテボリに住んでいると話した。


一人住まいはわびしいので採算を度外視し、
いろいろの方との出会いを楽しむため
B&Bを経営していると言った。


翌朝、久しぶりにさわやかな目覚めだった。
ベッドから出て二階の開き窓を開けると
太陽がまぶしく輝き、下では女主人が庭掃除をしていた。


昨夜は暗くてわからなかったが、
このB&Bの建物は白樺の森に囲まれ、
下の方には小さな湖があり、
その周りには、色彩豊かにペンキ塗りされた民家が点在していた。


階下に降りて行くと、彼女は掃除の手を止め、
二人で朝食を摂りながら、
「あなたは、この町にバイクで来た初めての日本人だから
新聞社に電話したのよ」と言った。