1968年のバイク世界一周旅行

その74


バルカン半島を南下、ギリシャへ


食事を摂っていると、この地方の小さな新聞社の記者だという
中年の男が自転車でやってきた。
彼女の出したコーヒーを飲みながら、
記者は1時間ほど、私の米国留学やバイク旅行を始めた動機について聞き、明日の新聞に載せるからと言って去って行った。
 
記者が去った後、私はテーブルにヨーロッパの地図を広げ、
このあと、どこへ旅すべきだろうかと女主人に相談すると、
「ここまで来たらノールカップまで行けばどう?」と言った。


ノールカップはヨーロッパの北限でノルウェー、
バイクで行った人はいないだろうと聞き、
それじゃ行ってみようと出かける準備にかかると、
「新聞記事を見てから出かけたら?」と言う彼女の説得に負け、
何も見るべきものもない白樺林の丘のこのB&Bに
もう一泊することになった。


翌日、私のことが小さく新聞記事になると、
その街の全校生徒、数十人ほどの小学校から
日本のことについて子供たちに話してくれとか、
町の人から食事の招待を受けた。


しかし、新聞記事になった朝、また疲れで起きられなくなった。
コペンハーゲンでも同じことを経験した私は
午後になると体調が良くなることがわかっていたので
B&Bの知的で親切な経営者に事情を言って、
その日の午後、体調がよくなったので
ノールカップ行きを断念し、
気に入っていたスイスのツェルマットのYHで休養するため、
1,200キロの距離を3日かけて南下した。


10日ほど、マッターホルンの景色を眺めながら休養していた
1968年9月下旬、ツェルマットの町に雪がちらつき始め、
ギリシャへ向け出発する日が来た。


「007」映画でジェームス・ボンドが
ハイテク車で敵の追跡をかわしながら、駆け上がった
スイスの曲がりくねった山岳道路を上り、
シンプロン峠の長いトンネルを通り抜け、


イタリア側の長い坂を下り、
有名な観光地コモ、ミラノを経由しベニスへ入った。
ベニスは運河の町でバイクは走れず、町の入口の駐車所に預け、
水上バスで町に入った。
運河の水は汚染がひどく、
映画「旅情」の雰囲気は全く、感じられなかった。


ベニスに一泊、ユーゴスロバキア(現クロアチア)との国境、
トリエステへ向かった。
トリエステは戦後一時期、ユーゴスロバキア領になっていたが、
その後イタリアに返還されたという歴史がある。


今でこそヨーロッパは安定して戦いはないが
ヨーロッパは中世から戦いの連続で、
ヨーロッパ各国の歴史は複雑で、
世界史で習った断片的なヨーロッパ史の知識では
表面的なヨーロッパしかわからないと実感した。