1968年のバイク世界一周旅行

その75


ユーゴスラビア(現クロアチア)


当時、ユーゴスラビアは社会主義国家で、
私は「鉄のカーテン」と呼ばれえていた
ソ連の社会主義国家と同じものだと思い込んでいたので、
どこからか秘密警察が外国人である私を
監視しているのではないかという、不気味な不安感と
恐怖感を抱きながら入国した。


入国すると、私の想像は的外れだった。
「社会主義国家ですが、ソ連とは違いますので、旅を楽しんでください」と、国境警備兵も近くの観光案内所の女性も、
非常に愛想がよく、人々もソ連のことをよく思っていなかった。


たしかに、当時のユーゴのチトー大統領も、
ソ連のスターリンに対して、簡単に「イエス」と言って、簡単に従わない勇気を持っていた。


驚いたのは西側諸国では見られなかった
両替人が国境近くに群れを成しており、
私を取り囲みドルとの両替を求めてきた。
交換レートは銀行など、比べ物にならないほど良いものであった


国境を越え、アドリア海に沿って南下したが、
景色は地中海の風景のように美しいものであった。


海岸線はいたるところで、深く入り込んだリアス式海岸が多く
初めてこの国を走る私は、フェリーを利用すれば数分で
対岸へ行けることも知らず、
長い時は一時間以上も湾を迂回することがあった。


一人旅の私は、だれに気兼ねすることもなく、
興味ある場所では時間をかけ観光し、
ないところはぶっ飛ばして素通りしていた。


物価も安く一日二ドルもあれば充分であった。
収入を得る手立てがないのか、夕方になるとどの町でも
人々は道路に並び民宿の客引きをやっていた。


私は民宿や電力供給も十分供給できないのか
照明の薄暗いロビーに、大きなチトー大統領の肖像画が飾ってある
宿泊客もいないホテルに泊まりながら、
バルカン半島の南を続けた。


イタリア国境の町、トリエステから南へ500キロ、
今は文化遺産になり観光の目玉商品に
なっているドブロニクに着いた。


観光情報もない時代、観光客も全くいない、
長い城壁に沿って町を通過して山岳地帯の道路を上り、
ふと振り返ると、
城壁に囲まれた赤い屋根の旧市街と
アドリア海の青のコントラストが素晴らしい、
あのドブロニクの絶景が眼下にあった。


私は道路端に腰を下ろし、時間の過ぎるのも忘れ、
眼下に広がる、この絶景を眺めていた。