1968年のバイク世界一周旅行

その76


アドリア海に沿って南下を続け、
ユーゴスロバキアとアルバニアの国境に着いた。


実際は情報不足の時代で、アルバニアの国境に着いた
とはわからなかった。
目の前に川があり、長い橋が架っており、
橋のたもとに「アルバニア」と、
英語の立て看板があったので分かった。


橋の中央に銃を抱えた兵数人がいたので、
国境警備兵とわかり、小走りにその兵隊たちに近づき、
「ギリシャへ行くのだが、あなたの国を通過できるか?」と聞くと、
「ノー」であった。


仕方がないので、丸い円のような国境線に沿って、
見るからに険しそうな山岳地帯を北東へ迂回、
遠回りする羽目になった。


国境の町チトーグラード(現ポドゴリツァ・モンテネグロ)は人影もなく、
空っ風が吹き、クリント・イーストウッドのマカロニ・ウエスタン映画のようなさびれた街であった。


小雨が降り出し、未舗装のぬかるみ、曲がりくねり
車も通れないような細い急坂の山道に
挑むことになった。


雨は激しさを増し、タイヤは泥道に滑り、
転倒の連続、体中泥だらけになりながら悪戦苦闘の末、
ギリシャ国境にやっとたどり着いた。
国境でユーゴの紙幣、ディナールを
ギリシャのドラクマに両替しようとしたら
貨幣価値がないと両替を断られた。


私は不謹慎だとわかっていたが、
雨とぬかるみの山道を疲労困憊して、
あの困難な山道を突破した喜びもあり、
ギリシャ国境警備兵のいるところで、
大げさに破ったり、火を点けて燃やしたりした。


50年前、イタリアからギリシャへ行くのに
ユーゴという一ヵ国を通過しただけだったが
今は、クロアチア、ボスニア ヘルツェゴビナ、
モンテネグロ、セルビア、コソボ、マケドニアの六か国を
通過したことになる。
実に複雑な気持ちである。