1968年のバイク世界一周旅行

その77


エーゲ海 ヒドラ島での休暇


ギリシャに入ると、オリーブ畑に囲まれた道路は舗装になった。
南下するにつれ天気は良くなり、アテネに着いたときは晴れていた。
私はYHに荷を解くと、早速、船会社に行き、
ニューヨークからリスボンに着いたとき、
船会社が私のバイクをリスボン港で下ろすのを忘れ、
私がリスボンからナポリまで、バイクを引き取りに行く羽目になり、その時、私が立替えていたリスボンからナポリまでの。
航空運賃を受け取りに行った。


その翌日、インドまでヒッチハイクするという水戸の女性MKが、
どこで会ったのか、また、例のボディガードを引き連れ、YHに着いた。


ミュンヘンのビアホールで再会した、横浜のKがアテネに到着する、一週間ほど待たねばならなかった。


船会社で払い戻してもらった100ドルほどの
現地通貨ドラクマも、当時はギリシャも外貨事情が悪く、
ドルに両替できず、
ユーゴの通貨ディナール同様、紙くずになる恐れがあった。


その事情を水戸のMKに話すと、
「それじゃギリシャで使かちゃぇば」と言うので、
彼女のボディガード君と同じYHに滞在していた、
和歌山の学生Wに事情を話し、四人でエーゲ海の島へ旅することにした。


我々はアテネの郊外ピラウス港へ行き、
船会社の勧めで、三時間ほどで行けるエーゲ海のヒドラ島へ
行くことにした。


我々は紺碧の空とエメラルドグリーンの海、
エーゲ海の島々を巡る小さな時代物の貨客船に乗り込み、
瀬戸内海のような穏やかな海を三時間、左手に中世の城壁と砲台、
前方の小高い山には、オリーブの木々の中には
白壁の民家がへばりつくように軒を並べる
エーゲ海独特の風景があった。


船を降りると、岸壁には数件の土産やオープン・カフェがあり、
日焼けした老人たちがコーヒーを飲みながら、
のんびりと雑談をしていた。
私たちは土産屋で教えてもらった、白ペンキの塗られた石畳の小道を一分ほど上った民宿に泊まることにした。


その夜、民宿で食べたマトン料理に当たり、
全員トイレに何度も駆け込む羽目になったが、翌日には回復した。


十月中旬であったが、ヒドラ島はまだ泳げる暑さだった。
水着を持たない我々はジーンズのまま、
港近くの透き通るような海で泳いでいると、
停泊していた艇長20メートルほどの豪華なヨットから、
「あんたら日本から来たん?」と、
この豪華なヨットには不似合いのような関西弁で、
三十過ぎの女性が声をかけてきた。