1968年のバイク世界一周旅行

その79


中近東への出発


ヒドラ島からアテネのYHに戻った翌日、
横浜のKがドイツで買ったという中古車ワーゲンに
二人の日本人学生を乗せて着いた。


ドイツで知り合った三人は意気投合して
この中古車でインドまで行くと言った。


イスタンブールへ出発する日が来た。
そのころヒッチハイカーの間ではイスタンブールで
ドイツ人ヒッチハイカー二人殺されたとか、
スイスの若者が行方不明になっているとか、噂が広まっていた。


水戸の女性MKはワーゲンに同乗することになった。
MKのボディガード君も同乗したそうだったが、
ワーゲンは狭く五人は乗れないので、
私のバイクの荷物を整理し、後ろに乗ることになった。


ワーゲンのリーダー格Kは、道中危険だからワーゲンと一緒に旅をしようと提案したが、バイクで一人旅している私は
自分のペースで走りたかったので、
イスタンブールのYHで会うことを約束し、
1968年10月18日、約1,100キロ先のイスタンブールを目指し、アテネを出発し北へ走り出した。


郊外へ出るとオリーブの樹は目にするが、
緑の少ないギリシャは木造の建物はほとんどなく、
透き通るような青空の下には
白壁の建物ばかりが目についた。


ギリシャ第二の都市テッサロニキを通り、
イスタンブールの手前約百キロまで
来たところで夕闇が迫ってきた。


宿を探すが民家さえ見つからなかった。
周りは草木も生えていない荒野であった。
寒くなったのでバイクを停め小用していると、
暗闇の中にぼんやり光が漏れている大きな建物が見えた。
近づいてみるとホテルのような建物であった。


大きなドアのガラス越しに中を覗いてみるが
中は暗く人の気配さえ感じられなかった。
誰かいないかと同乗のボディガード君と
ドアの大きなガラスをドンドンと叩いていると、
腰の曲がった老婆が、灯のともったローソクを掲げながら
玄関へ近づいてきた。


ローソクに照らし出された老婆の顔が、何となく不気味に見えたが、周りに民家はおろかホテルもないので、
仕方なく身振り手振りで泊めてくれと
頼むと老婆は無表情で承諾した。


部屋へ案内してくれる老婆の後について
暗い階段を二階へ上がりながら、ふと後ろを振り向くと、
階下でロウソクを持った中年の男がチラッと見えた。


一瞬私はイスタンブールで殺されたという
ドイツ人ヒッチハイカーのことが脳裏をかすめた。


「何か嫌な予感がする」とボディガード君も気味悪そうな声でつぶやいた。
二人で交代で見張りしながら寝ることにした。


ふと目を覚ますと、窓から朝日が差し込み、
ボディガード君はいびきをかいていた。
予感は完全に外れた。


老婆と中年の男性は親子で、
この建物はある会社の別荘で、親子は管理人だった。
私たちが泊めてもらった夜は客おおらず、
たまたま停電だったのだ。
私たちは心苦しい思いで、お礼を言ってイスタンブールへ向かった。