1968年のバイク世界一周旅行

その80


イスタンブールに着いた。
この町はボスボラス海峡を挟んで
ヨーロッパとアジアの二つの雰囲気に囲まれたところで、
モスクやバザール、ヨーロッパ人とアジア人と、
ヨーロッパとは、また、違った雰囲気、景色というか、
アジア的匂いを持った町であった。 
この雰囲気は、ユーゴから山越えをしてギリシャへの途中、
今のコソボを抜けたときも、その一帯では白人とは違うアジア人的
顔をした人々を目にした時と同じ感じだった。


「ワーゲン」の連中は一歩先にイスタンブールに着いていた。
この町で、ドイツ人ヒッチハイカーが殺された
というのは事実であったかどうかわからなかったが、
通りの大きな建物には金銀細工の店が、
迷路のように入り組んだ路地の奥まで,ぎっしり軒を並べており、
今とは違い、50年前のこと、
何の「危険」情報も手に入らない時代で、
その建物の路地奥へ入りこんだら最後、
タダでは出てこられないという雰囲気が漂っていた。


旅を続けている間に、私は危険に対する感覚が
鈍感になっていたのか、
そのような雰囲気のところも、平気でうろついていた。


それよりも、もっと恐ろしかったのは
YHの虱(シラミ)の攻撃であった。
DDT(殺虫剤)を買い、それをベッドに振りまき、
体中に刷り込んで寝ないと眠れなかった。


アメリカやヨーロッパでは経験したこともない
シラミの攻撃に恐れをなし、
サッサとイスタンブールを逃げ出すことにした。