1968年のバイク世界一周旅行

その82


季節は10月末になっていた,
黒海沿岸の町サムソンに
近づくにつれ雨風が強くなった。
 
黒海沿岸の風景は、冬の日本海沿岸のように鉛色に覆われ、
海は荒れ、びしょ濡れの私は、寒さに震えながら走った。
サムソンから黒海に沿って東へ、トラブゾンまで約340キロ、
対岸はソ連かという感慨を抱く余裕もなく、
トラブゾンから内陸部のエルズルムまで、
朽ち果てた空き家を見つけては雨宿りし、
空家の壁の板切れをはがし、火を焚き、
ずぶ濡れの衣類を乾かしたり、寝たりした。


人間は環境の動物ともいわれるが、
私は神経がマヒしてしまっていたのか、
環境に慣れてしまっていたのか、このような状況の元でも、
もうバイクの旅はこりごりだとか
バイクの連中がどこを走っているだろうかと思うこともなかった。
ただ、機械的に、雨風の中を前進するだけだった。


エルズルムからトルコ国境の町、
ドグボヤジットまで約250キロ、
この町を過ぎると、地の果てを思わされるような
荒涼たる山岳地帯になり、
そこを上がりきると、
山頂にイランの国旗を掲げた、粘土作りの建物が目に入ってきた。


今では世界遺産に登録され、日本観光客にも人気のある
「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩のカッパドキア、
50年前の私は、その存在を知る手立てもなかった。


トルコの記憶は、
イスタンブールのYHでシラミの攻撃を受け、
どの町を通っても、舗装は満足になされておらず、
民家は掘っ建て小屋がほとんどであったように、
貧しい国であったこと、アンカラからイラン国境まで
毎日、雨でずぶ濡れになったこと、


それに、ロサンゼルスに住んでいたとき、
二度ほど試合を見に行った
フェザー級ボクサー西城選手がメキシコ人ボクサー、
ロハスを破り、世界フェザー級チャンピオンになったことを
アンカラの日本大使館にあった新聞で知ったことぐらいである。