1968年のバイク世界一周旅行

その89


テヘランではめったに見かけなかったが、
メッシャドの女性はほとんど頭から足の先まで
すっぽり黒い布(チャルド)で覆っており、
顔の判別も出来なかった。
近くで見るとチャルドは、思ったより厚めの布でできており、
暑くないのかと、他人事ながら気になった。


いよいよアフガニスタン入りである。
アフガニスタンと国境を接している
イラン国境警備隊の建物前の広場に、
ヒッピーらしき十数人のヨーロッパの若い男女が
たむろしていた。


イラン出国手続きを済ませ、建物から出てくると、
たむろしている連中の一人の男が私に近づき、
アフガニスタン側までバイクに乗せてくれと
小さな声で言った。


事情を聞くとハッシシ(麻薬の一種)をもって
アフガニスタンからイランへ入国、捕まったそうだ。


捕まったといっても周りは砂漠、逃げることは不可能で
牢屋らしものに拘留もされず、
彼らは建物の周りでたむろしていた。


彼の願いを聞けば、当然、私の身に何が起こるかはわかる。
彼の相談に乗れるわけでもなく、
イラン国境警備兵の視線を気にしながら
逃げるようにアフガニスタン側へ向かった。


荒涼たる山岳地帯の峠を国境にしているアフガニスタン、
眼下には広大な砂漠の台地が広がり、
国境近くには小さな村が点在していた。


粘土造りの建物の裏に回ると、
ターバンを巻いた十数人の頑強そうな男どもが
ガン・ベルトを木の枝につるし、
まるで西部劇映画のように丸腰で、
テーブルを囲みカードをしていた。


この一帯は無法地帯だった。
西部劇映画のような強盗や殺人が起こたとしても、
政府の法律が行き届かない地域であった。
いたるところに銃を作る鍛冶屋があった。


アレキサンダー大王の時代から、東西文化の交流があり
多くの民族が住む多民族で、
それぞれの民族が権力を争っている国、
それがアフガニスタンであると思った。


カードゲームを眺めていた一人の若者が
医者になるため英国留学を望んでいるが、
アフガニスタン政府が許可を下ろしてくれないと、
寂しそうに言っていたのが印象的だった。