1968年のバイク世界一周旅行

その90


無法地帯のに住む、アフガニスタンの人々は銃を作るか、
カードなどギャンブルをするしか、
収入源がないとその若者は言った。


危険だから、暗くならないうちに、
この無法地帯を離れた方がいいという
彼の忠告に従い、急ぎその場を離れることにした。
走りながら高台に目を向けると、十代前半と思われる少年たちが、
いたるところで銃を抱え見張りをしていた。


アフガニスタンは砂漠の国であるが、
周りは高い山脈で囲まれている。


イラン側からの道路は西のヘラートで、この山脈の北側を通り首都カブールへ通じるのと、
もう一本はこの山脈の南、砂漠の中をカンダ―ルを経由して
カブールへ向かっていた。
私は自然と南側の道路を走った。


アフガニスタンは米ソにとって戦略上重要な国であったので、
北側の道路はソ連の援助で、南周りはアメリカの援助で作られた
立派な舗装道路であった。
センターラインなどはなかったが、
イランの砂漠の中を走るのとは気分的に格段の違いだった。


こんな砂漠の国へソ連が侵攻し、米国が延々とタリバンと戦って
何の得になるのかと疑問に思っていたが、
調べてみると、
アフガニスタンには一兆ドル(約110兆円)の金、リチウム、鉄鉱石など地下資源があるらしい。そのためかと勝手に納得している。


このすばらしい道路を気分良く走っていると、
突然、銃を肩にかけターバン姿の男たちが
ドラム缶を道路の両側に一個ずつ置き、
その上に細い木を遮断機代わりに置いて道路をふさぎ、
「交通税」を払えと、いたるところで徴収された。


ヘラートやカンダ―ルはアフガニスタンでは
大きな都市であるが、
粘土造りの建物だけが散在し、コンクリートの建物は見なかった。
砂塵の舞う道端では露天商が羊を解体し、
その頭まで並べて売っている光景は異様だった。