1968年のバイク世界一周旅行

その93


通過した中近東の国々では、トイレを借り、
日本語の新聞を読むため、必ず、日本大使館を訪れた。
これらの国々では、現地の建物や暮らしぶりに比べ、
日本の大使館は立派すぎ、
私が強盗に襲われたのも無理はないと思った。


空っ風が紙くずや砂塵を舞い上げる、カブールの市内の道路は
舗装がはがれ、自家用車などほとんど見かけず、
古いバスやトラック、馬車が目立ち信号もなかった。


ほとんどの商いは露店で、行き交う人の顔も
急にヨーロッパ系やアジア系の混じった顔をした人が多くなり、
歴史的に、この一帯が東西シルクロードの交差点であった
ことが明らかに思えた。


カブール市内の、まともなコンクリート造りの建物といえば
コンチネンタル・ホテルぐらいで、一国の首都にしてはあまりにも
貧弱な建物ばかりだった。


カブールの日本大使館でトイレを借り、
洗面所で隠れるようにして体を拭き、
パキスタンを目指して走りだした。


岩肌が剥き出しの荒涼たる
山岳地帯の深い渓谷に沿って、
古来より東西文明の交差点として、重要な役目を果たし、
南アジア世界と中央ユーラシア世界を結ぶ
交通の要衝であった標高1070メートルの
カイバル峠を越えた。


この峠はシルクロードから南下しインドへ向かう
交易路として重要な役割を果たした。
そのため、この交易権を得ようとする諸勢力が
この地の周辺をめぐって
抗争を続けたことは世界史上で有名である。


アレキサンダー大王も越せなかった険しいカイバル峠と
学生時代習っていたので、
私はバイクでは越せないのではないかと不安であったが、
ユーゴからギリシャへの山越えしたときに比べると、
気が抜けるほど簡単に
このカイバル峠を越えパキスタンへ入ることができた。
やはり習ったことを鵜呑みにするよりも
自分で確かめることが、どれほど重要かわかった。