1968年のバイク世界一周旅行

その102


二年ほど前、旧友との飲み会の席で、
お互いの若い時の話が出始めた。
私の番になった。場の流れで1964年米国留学し、
帰国の際、バイクで世界を観て回ったことを口にした。


私にしては、自分の経験など、済んだ過去のことで、
気の抜けたビールの話をするような気分であったが、
米国留学とバイク旅行のことを一分ほど口にした。
すると、旧友たちは一瞬静まり、
あっけにとられたような顔を私に向けた。


私の世代では米国留学どころか、
海外旅行も考えられない時代であり、
彼らが、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。


帰国した時、友人たちと会い、一度、米国の話をしたことはある。
だが「ここは日本だ。米国の話など興味ない」と言われ、
それ以後、全く米国のことやバイク旅行のことは話さなかったし、
日々の生活と時間の経過とともに、私の若い時の経験は、
自分ですら思い出すこともなく、時間は50年も過ぎていた。


旧友たちとの飲み会で、私の経験を少ししゃべるとだんだんと、
彼らはその当時の米国のことを聞き始めた。
私は過去に経験を話し、嫌な思いをしたので、
恐る恐る旧友たちの反応を観ながら、
小出しに経験を話した。すると、
「その話はおもろい!書いたらどないや」と、おだてられ、
年金暇人の身、時間はたっぷりあるので、
試行錯誤の上、書くことにした。


250枚ほど書いたが、そこは素人、
発表する場を見つけられなかった。
ある日、ネットで「自分史文学賞作品募集」とあるのを
見つけ応募すると、
330編中8位と最終予選を通過したが、
結果は「選外」であった。


応募原稿は、そのまま「ドキュメント」に眠ったままであった。
友人に頼み、原稿を読んでもらうと、
出版社へ売り込めと勧めてくれた。
芸能人や著名人の原稿なら、売れる見込みがあり、
出版社も興味を持ってくれるだろうが、
無名の私の原稿、ゴミ箱へ直行でぐらいはわかった。


せっかく書いた原稿、「ドキュメント」に
塩漬けするのは忍びないので、自費出版することにした。
タイトルは一度就いた会社を辞めることから
「人生の途中下車」にして、500部刷り、
友人知人にお願いして差し上げることにした。