1968年のバイク世界一周旅行

その101


香港に寄港し、町をぶらついていると、
前から来た中年の男性にとすれ違った途端、
その男は小さなビンを落とした。
ビンは割れ、中身の水分は道に流れ失せた。


その男性は、私が彼の体に接触したのが、
原因で病の娘のため、買ってきた高い飲み薬だ、
どうしてくれると、大声で怒鳴り始めた。


私は彼に接触した覚えはなかったが、
彼の騒ぎに多くの香港人が、私を囲みだしたので、
金を要求しているのだと判断し、
こんなところで問題を起こしてはまずいと、
5ドル紙幣を彼に渡すと、彼はニッタと笑うような表情をして
私から去って行った。


帰国後、分かったことであるが、
当時、香港では「当たり屋」をして
外国人から金をせびり生活する者が
多かったようだ。


ロサンゼルスを1968年5月19日に出発して、
その年の12月25日、無事に横浜に着いた。


まだ、東名高速道路は東京から名古屋までは
貫通していなかったので
横浜から2号線をバイクで走り、途中浜松で一泊し、
そこからは名神高速道路を走り神戸へ向かった。


まだ、バイク・ブームも起こっていなかった、
その年の12月8日「三億円」強奪事件があった直後で、
白ヘルメットに黒の革ジャン姿で、
バイクに乗っている私は、結構目立ったらしく、
神戸までの間、何度となく警官に止められ、職務質問されながら、
4年5か月ぶりに神戸に帰った。


歳末の神戸の街には
ピンキーとキラーズの「恋の季節」が流れ、
年明けの1月19日「東大闘争」の拠点であった
安田講堂が封鎖解除された。
そして、どういうわけか地元の警察に出頭し、
「三億円事件」前後のアリバイを
パスポート持参で証明する羽目になった。