2017年6月のブログ記事

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その40 雨の中西部 グランドキャニオンからオクラホマ・シティまで約千百キロ、 この区間は大げさに表現すれば、 ずっと下り坂だったような気がした。 やっと平地へたどり着いたような気分であったが、 空模様がおかしくなってきた。 テキサス州のような澄み切った青空は、 いつの間にか消え、雲が垂れ始め、 ... 続きをみる

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  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その41 アリゾナ州キングハムから一直線に東へ延びてきた ルート66は、ここオクラホマ・シティから北東、 時計の二時の方角へ曲がり、シカゴへと延びている。 まだ、シカゴまでは千三百キロほどある。 夜半、雷は鳴りっぱなしで、朝になっても雨は無常に振り続け、 モーテルの窓から、雨にさらされているバイク... 続きをみる

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  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その42 カンザス・シティからセントルイスへ、 やっと雨も上がり、ときおり青空が見えはじめた。 オクラホマ・シティからセントルイスまで約五百キロ、 雨のため三、四日を費やした。 バッグの中の衣類は、大分雨を吸い込んでいたので 公園のベンチに広げで乾かしたが、なかなか乾かず その上、汚れ、臭かったの... 続きをみる

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  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その43 セントルイスから北へ二時間、 イリノイ州の首都スプリングフィールドに着いた。 この町はケンタッキー州の丸太小屋で生まれたリンカーンが、 弁護士になり、大統領になるまでの二十五年間住んでいた町で、 「リンカーンの住んでいた家」、「リンカーンの事務所」、「リンカーンの墓」など「ランド・オブ・... 続きをみる

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  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その44 シカゴからナイアガラの滝までは約八百キロ。 日本語のガイドブックのない時代、 私の観光地の知識は、ほとんど観た映画からあった。 このナイアガラの滝の凄さを知ったのは、 マリリン・モンロー、ジョセフ・コットン主演の映画 「ナイアガラ」の影響である。 一九五〇年代、ナイアガラはアメリカ人の新... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その45 四十キロ先のオールバニーまで、 重いバイクを押していくのは不可能である。 バイクをハイウェイ脇に置いたまま、 ヒッチハイクしながらオールバニーまで行き、 バイク屋と一緒に取りに来るしか手はなかった。 しかし、雨の降りしきるハイウェイに立っていても、 車は来なかった。 時たまヘッドライトが... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その46 ニューヨーク ロバート・ケネディ暗殺・葬儀 ロサンジェルスを出発して十九日目、 一九六八年六月六日、オールバニーを出発、 ニューヨーク・シティを目指す。 あと、約二百四十キロである。 ハイウェイの標識には「ボストン170マイル(二七二キロ)」とあった。 大西洋は見えなかったが、アメリカ大... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その47 アメリカ横断の疲れは全く感じなかった。 市内の中心地にあるホテルを訪ねたが、 ロバート・ケネディの葬儀を見ようと、全米から予約が殺到しており、全く予約できなかった。 YMCAにも行ったが、ラフな服装をしたヒッピーまがいの連中が長蛇の列をなしていた。 どんなところでもいい、とにかく泊まると... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その48 リスボン行き客船の予約を済ませた後、バイクの最終整備をするため、ハドソン川の下にあるリンカーン・トンネルを抜け、 ニュージャージー州のチェリーヒルのヤマハ工場へ行き、 その日は、チェリーヒルのモーテルに泊まった。 翌朝、六月八日、ロバート・ケネディの葬儀を見るため、 ニューヨークへ。バイ... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その49 一九六八年六月十日 四年間住んだアメリカを離れる日が来た。 もう五十年の前のことで正確な数字は忘れたが、 バイクでアメリカ大陸横断に要した費用を計算してみた。 間違っておれば訂正をお願いする。 走行距離:      ロサンジェルス・ニューヨーク            5,500km 使用... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その50 ヨーロッパへ  大西洋航路 ポルトガルのリスボンまで、ギリシャ船籍の豪華客船で行くことになった。 当日、一九六八年六月十日、 出航は夕方であるが、接岸ピア(港)が多く、私の乗る客船が接岸しているピア(港)62を探すのに時間がかかるだろう思い、 昼食を済ませると、すぐ接岸しているピア(港)... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その51 ヨーロッパへ 大西洋航路 ニューヨーク港を出港してすぐ、ロビーに夕食のメニューと、 円形テーブルの指定席表が張り出された。 食事は、いつも同じテーブルの指定された席と決められていた。 どのテーブルも、八人ほど座れる大きさで、 家族連れは家族連れ同士、夫婦連れは、夫婦連れ同士で 座るように... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その52 リスボン バイクはナポリへ 一九六八年六月十八日の深夜 ニューヨークを出港して八日目、リスボンに入港した。 下船手続きは終わり、 私のパスポートはだけが、客船の下船口、臨時の入管事務官のデスクにポツンと忘れられたように置かれていた。 私が彼に問いただすと、ポルトガルのビザがないので 下船... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その53 リスボン バイクはナポリへ 「チン、チン、チン」と、心地よい音に、私は目覚めた。 ベッドわきの窓を開けると、向かいの建物に挟まれた狭い石畳の坂道を電車が下っているのが目に入った。 雲一つない紺碧の空、朝日が前の建物に反射して、 二階にある私の部屋へ射し込み、気持ち良い、 さわやかなリスボ... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その54 ナポリからヨーロッパ・ツーリングへ 空港からタクシーを飛ばし、ナポリ港へ行った。 ちょうど私のバイクを乗せた客船が接岸中で、 ナポリ支社には、すでに連絡が入っており、 入管手続きは簡単に済んだ。 当初の大雑把な計画では、イタリア南部から船でエジプトへ渡り アフリカ大陸の北部を西へ向かうつ... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その55 アフリカ大陸行きをあきらめ、 ナポリから北へローマを目指すことにした。 本格的なヨーロッパ・ツーリングの始まりだった。 地図を見入ると、ナポリ・ローマ間は、たったの二百キロで、 アメリカ大陸を横断した私には、非常に短い距離だった。 葡萄畑やオリーブ畑などの中を通る、 イタリアの高速道路E... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その56 フィレンツェからピザへ ローマ観光に二日ほど費やした後、のどかな田園地帯を北へ三百キロ、車道から脇道へ細い農道を上がると、 葡萄畑に囲まれた小高い丘に、フィレンツェのYHはあった。 朝食は葡萄棚の下に並べられたテーブルで摂り、デザートは葡萄を適当に取り食べることのでき、旅の中でこのYHは... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その57   ピザの斜塔は大聖堂の鐘塔として、一一七三年工事にかかったが、 十メートルほど建設したところで、傾き始めたが造り直しもせず、 そのまま建設を続け、約二百年後に完成したそうだ。 何故、造り直さなかったのかと、チケット売り場の係員に聞くと、 本当かどうかはわからないが、 造り直したら経費が... 続きをみる

  • 1968年のバク世界一周旅行

    その58 地中海に沿って 私はフランス南部、一般道路を地中海に沿って西へ向かった。 道路は狭い一車線か二車線で、カーブが多く、 片側は地中海で反対側は小高い丘が続き、 赤瓦の高級住宅や別荘が点在し、 アメリカのウエスト・コーストに似た風景であった。 暑い七月、バカンスシーズンが始まったらしく、 狭... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その59 フランスの国境を越え、 スペインン第二の都市バルセロナへ入った。 テレビのCMなどで有名な、アントン・ガウディが一八八二年に設計した、サグラダ・ファミリア教会がまだ建設中で、 寄付を集めながらの工事で、いつ完成するかわからないと 町の人は言っていた。 街角で絵を描いている老人を後ろから眺... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その60 フランス、オムレツ、オムレツ 早朝、バイクの衝突音で家々から 人々が飛び出してくるのがわかった。 そして人々が私を道路脇へ運び、 大丈夫かと、口々に声をかけながら介抱てくれた。 私は、しばらく事故のショックで口もきけなかったが、 三十分ほど横になっていると気分も良くなったので、 バイクを... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その61 ルーブル美術館の前で、カリフォルニアに住んでいたという フランス人男性が私のバイクのプレート・ナンバーを見て 話しかけてきた。 私がフランス人は英語を話さないので、 レストランでは、オムレツばかり食っていると、愚痴ると、 彼は「フランス人は自分の国に誇りを持っており、英語で話しかけられる... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その62 ロンドン ル・アーヴァルから約三時間、 フェリーに乗っている間、船員に頼み込み、 びしょ濡れになった体をエンジンルームで温めながら、 衣類を乾かした。 ド―バー港から一気にロンドンへ向け走り出したが、 日が暮れ途中のB&Bに泊まることにした。 久しぶりに英国訛りだったが、B&Bの女主人の... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その63  1968年当時、ベルリンは東ドイツ領内で 東西ベルリンに分断されていた。 外国人は東ベルリンへ入ることができと聞き 是非ベルリンに行こうと決めた。 ダンケルク、アムステルダム 数日間、ロンドン観光に費やしやした後、 再びドーバー港からフェリーでカレー港に上陸、 東へ旅を始めた。 ドーバ... 続きをみる

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  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その64 翌朝、外へ出るとYHの周りは 「飾り窓(売春宿)」が軒を並べていた。 そのあと、いろいろなYHに泊まったが、 このYHの周りのことは、ヒッチハイカーの間では 有名な話でよく話題に出た。 アムステルダムは「アンネの日記」でも有名な街である。 アンネ一家八人が、ナチスの迫害から逃れるため 1... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その65 東ベルリンでの出来事 安ホテル前の駐車場にバイクを置き、 航空運賃は10ドルを払い、ハンブルグ空港から パン・アメリカン航空で西ベルリンへ出かけた。 当時1ドルは¥360であったから、 ¥3,600払ったことになる。 現在、ハンブルグ・ベルリン間の航空運賃は 約140ドルである。 50年... 続きをみる

  • 1986年のバイク世界一周旅行

    その66 その部屋の横には、静まり返った 体育館のような広い部屋があった。 二人の兵隊の一人が、私を連れ出し、 その部屋の片隅にあるベンチに、座れと言って立ち去った。 私は、この先どうなるのだろうかと、不安を抱えながら 肩を落とし、しゃがみ込むようにベンチに腰を下ろした。 十分ぐらいだっただろうか... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その67 列車がハンブルグ駅に着くと、私は緊張がほぐれ 疲れがでて、ぐったりとしていた。 改札口を出ると、構内の壁に飾ってある、 小さなピカソのデッサン画が目に入った。 それは闘牛士が闘牛と戦っているデッサン画であった。 近くで見ると、闘牛は点のように、 闘牛士は、マッチ棒のようにしか、見えなかっ... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その67 夕立がやみ、虹のかかったライン川を渡ると スイスのバーゼルだった。 バーゼルはフランス、ドイツと国境を接する スイスの第三の都市である。 スイスは九州より少し大きめな国である。 バーゼルはもとより、スイスに入った途端、 今まで通過した国々では、見たこともない絵葉書をから 抜け出したような... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その68  スイス、ツェルマット 今なら、誰でも知っている、マッタ―フォルンの登山口 ツェルマット。 当時、私はそれがスイスのどこにあるか知らなかった。 マッタ―フォルンが美しい山であることは 写真などを見て知っていたので、 是非行ってみたいと思っていた。 人に聞きながらBrigの町から、登山電車... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その69 翌朝、このYHで朝食を摂っていると、 「オジさんじゃない?」と、 二十歳前後の日本人女性が声をかけてきた。 28才の私に 「オジさん」とはと、一瞬、驚き、あっけにとられたが 彼女は初対面ながら、にこやかに嫌味のない女性で その自然な振る舞いに私は好感を持った。 彼女は、私がバーゼルのガソ... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その70 スイスのツェルマットからウィーンまでは約600キロ、 高速道路を走れば、一日で行ける距離であるが、 バイク旅とはいえ、ただ、闇雲に走っても面白くない。 二度と来ない素晴らしいところもあるかもしれないと 一般道を走ることにした。 九州や四国ほどの小さな国、スイスから 東西に長く伸びるオース... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その71 ミュンヘンのビャホール ミュンヘンのYHでチェック・インしていると カナダをヒッチハイクして、今はヨーロッパを観光中の、 ローマのYHで出会った横浜のKが目に入ったので 声をかけると、ウィーンで別れた 水戸のMKと夕食を摂りに出かけるところだった。 KとMKは初対面だったが、 日本人の旅... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その72   二人と別れた私はミュンヘンからハンブルグ、 ルーベックを通過し、さらに、その北ブットガルテンから フェリーでバルト海を渡り、 デンマークのレズビュハウンに着いた。 そこから農業国らしい広々とした田園の中を コペンハーゲンを目指し走った。 デンマークといえば、 アンデルセン童話「人魚姫... 続きをみる

  • 1968年のバイク世界一周旅行

    その73 体調が良くなった私は、デンマークのヘルシンゲルから フェリーで狭い海峡を越え、スウェーデンのヘルシンボルへ渡り、 スウェーデンの西側を走り、ヨーテボリを通り、 白樺の森が続く中を北東へ走り続けた。 9月に入っていたが、日本の感覚では、 まだ、夏だと思っていたが、 急に日が短くなり、白樺の... 続きをみる