1968年のバイク世界一周旅行

その100


フランス船「ラオス号」のボンベイ・横浜間の運賃は
約6万円で、当時の日本の平均月収ほどだった。


ラオス号には、マルセイユなどから乗り込んだという
ヨーロッパで知り合った多くの日本人若者が乗っていた。


ニューヨークから大西洋を横断してリスボンまで乗った
ギリシャの豪華客船と違い、気取った堅苦しさもなく、
お互い旅の経験を語り合って楽しんだ。
ラオス号はセイロン(現スリランカ)、シンガポール、
バンコック、香港と寄港したが、
世界一豊かなアメリカで過ごした私には
それらの都市は想像もできないほど汚かった。


特に、そのシンガポールが、今や世界有数の美しい都市に変貌し
たことは驚き以外何物でもない。


バンコックから香港へ、ベトナム沖を航海したのは夜だった。
生暖かい湿気を含んだ夜風を浴びながら、
甲板からははるか遠く、ベトナムの戦場で炸裂する爆弾が
花火を打ち上げているような光景に見えた。


あの光景の下では多くの人が死んでいる行くのを想像すると
私は「天国と地獄」とはこのことかもしれないと
思いながら複雑な気持ちだった。


1968年12月21日、香港に寄港した日、
アポロ8号が、月へ向かうため打ち上げられた。
私はロサンゼルスから約7カ月を費やして
やっと香港にたどり着いたのに、
90分そこそこで地球を一周する、そのニュースに
苦笑した。