1968年のバイク世界一周旅行
その94
インド国境 入国不許可
イラン、アフガニスタンと砂漠地帯を走ってきた私は、
一応、町も区画され道路も整備され、
街路樹もあるペシャワールに着いたときは、正直ホッとした。
ペシャワールよりも驚いたのは、
パキスタンの首都イスラマバードの町だった。
1961年から建設が始まったという
この巨大な政治都市の道路は升目状で幅も広く、緑で覆われ、
近代的な建物と建物の間は、たっぷりとゆとりを持たせ、
町そのものが公園のようで、
二十一世紀の都市とはこのようなものかと
驚くほど素晴らしい町であった。
だが、この町を一歩出ると
道路は舗装されていたが狭く、
くぼみや割れ目がいたるところにあった。
荷や客を満載したトラックやバスの往来も激しく、
その上、無数の牛が我が物顔に道路の中央を歩き回り、
走っている私は、
牛に衝突するのではないかと危険極まりなかった。
ラホールを通過しパキスタンインド国境に着くと、
インドへの入国手続きを待つトラック、バス、乗用車が長い列を作っていた。
インド・パキスタンは長年紛争が終わることなく
続いているためか、手続きも時間がかかるらしく
長い時間待たされ、やっと私の番が来たが、
入国管理事務官は、私がカルネ(バイクが国境を無税通過できる書類)を持たないので、バイクの持ち込みは許可できないと言った。
私はカルネなどという言葉も聞いたことがなかったし、
インドに着くまで、多くの国を通過したが、
カルネのことを聞かれたこともなく、私は困惑した。
どうすれば、インドへバイクを持ち込めるかと聞くと、
アメリカで買ったバイクなら、
アメリカのAAA(アメリカ自動車連盟)でカルネを発行してもらえと言った。
すでに、インドまで来ている私には、
それはできない相談であった。
インド国境に着いたとき、私のバイクはエンジンをかけると
クラッチを入れなくても、自動的に走り出す廃車寸前の
「オートマチック・バイク?」になっていたが、
バイクのインドへの持ち込みは不許可だと言った。
この融通の利かない国境係官との交渉は時間の無駄であった
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