1968年のバイク世界一周旅行

その99


ボンベイに着いた私は、帰国の船に乗るだけであった。
もう私には地図を広げ、道を確かめる必要もなく、
砂漠の中で車に遭遇することは、
強盗に逢うかもわからないので怖く、
時折、砂丘に上り、砂煙を上げ近づいてくる車を
確認していたが、それも必要なかった。


砂丘の上に立つと360度、視界は広がり、
音のない世界であった。
両手を広げ高々と挙げると
「アラビアのロレンス」になったような気分だった。


ボンベイの救世軍(サルベーション・アーミイ)の運営する宿では
三時になると、二階のテラスで、安宿に似合わないほど優雅な
英国式の紅茶のサービスがあった。



二階のオープン・テラスに並べられた
質素なテーブルと椅子、
ヨーロッパから何日間も、バスに揺られボンベイにたどり着いた
ヒッチハイカーやバイクで中近東を横断してきた私たちは、
テーブルの紅茶を飲みながら、これまでの疲れを癒すように
旅の経験談を話す一時は
これ以上の贅沢はない午後のティ・タイムであった。


目の前、ボンベイ湾に面したアポロ埠頭の突端には
1911年、英国王ジョージ五世夫婦が
インドを訪れた記念に建設された、
植民地主義のシンボルのような、クリーム色がかった
巨大なインド門が見えた。


紅茶を飲みながらこの風景を眺めながら
保険も持たず、バイクの致命的な故障、怪我、病気もなく
三万キロの長旅ができたのは、
バイクの性能が良かったのか、
単に運が良かっただけなのかと
考えていた。


横浜行きのフランス船「ラオス号」を予約、
1968年12月15日、ボンベイを離れた。
私のバイクは泥まみれで、傷みが激しかったが
愛着もあり、整備すればまだ乗れるので、
日本へ持って帰ることにした。