1968年のバイク世界一周旅行

その6


留学への道は米国政府援助のフルブライト留学と、
外務省の留学試験以外なく、
その上、米国領事館は留学ビザ取得に
入学許可書(I-20)を要求、
その困難な手続きをしながら、
睡眠三時間で中学校三年間の英語教科書と悪戦苦闘の一年間。


だが、勉強は人に強制されるものでなく、
目的があれば楽しくもあり、能率も上がる
ことを知った一年でもあった。


1964年4月、外務省私費留学試験合格。


その時代を生きた者には
良きつけ、悪しきにつけ、起こったことは記憶であり、
思い出であるが、
その後に生を受けた者には歴史であり、
その感じ方には開きがある。


あの時代
1964年、雑誌「平凡パンチ」が発行、
若者は新しい記事文化に影響を受けた。


10月、東京オリンピック開催に伴い、
新幹線が開通、東京-大阪間 四時間と、
今までの半分の時間で行けるようになった。
ちなみに片道「ひかり」の運賃は¥2,480、
「こだま」が¥ 2,280であった。


アメリカは車社会と聞き、
車の免許証は必需品だと、
出発前に高い授業料を払い取ったが、
当時、日本は道路交通に関するジュネーブ条約に加盟しておらず
国際免許書も発行されず、その免許書は無駄になった。