1968年のバイク世界一周旅行

その18


その日、食堂で、一日遅れでロサンジェルスから配達され日系新聞「羅府新報」に「ガ―ディナーのヘルパー求む、
比嘉ボーディング・ハウス」と広告があった。
ボーディング・ハウスとは下宿屋のことである。
すぐ、そのボ―ディング・ハウスに電話すると
ヘルパーの日給は$15だと言う。


葡萄農園にいても九月からの生活費、
学費も稼げそうもないので、
サムに事情を言って、
ロサンジェルスへ引き返すことにした。


「比嘉ボーディング・ハウス」は
Western Ave.とVenice Blvdが交差する近くにあった。
元々、白人の住んでいた古い豪邸を
沖縄出身の比嘉夫婦が買い取り、もうひと棟建て
日本人相手の「下宿屋」を経営していた。


下宿屋といっても、二段ベッドが各部屋にあり、
日本からの観光客、駐在員など様々な日本人が
五十人ほどが長期滞在していた。


下宿代は三食付き、一月六十五ドルであった。
食事は時間通り食堂で摂り、
別にシャワー室も五、六あった。


この下宿屋に下宿し、
比嘉夫妻に頼んでおけば、
夏場なのでガ―ディナーのヘルパーの
仕事は毎日でもあった。


ガーディナーは
この下宿屋へ行けば、すぐヘルパーを採用でき、
「発展途上国」日本からの来た者には、
下宿屋は仕事を見つけるのに便利であり,
下宿屋は下宿人で潤い、
三者の思惑がうまく噛み合っていた。


南カリフォルニアでは、
ガ―ディナーは日系人の生業であった。
彼らはロンモア(芝刈り機)やホウキ等、
ガ―ディナーガーの七つ道具を小型トラックに積み
契約しているアメリカ人の庭を
手入れして回っていた。


アメリカ人の平均的敷地は三百坪で、
真ん中の百坪に住居やガレージがあり、
その前後に二つ、それぞれ百坪の芝生や花壇の
ある庭になっていた。


私は三日ほどタダ働きして、
仕事を覚えた。


ヘルパーの仕事は草刈りがメインで、
ロンモアで芝を刈っている間、
ガ―ディナーは花壇や木々の手入れをし、
それが終わると水圧の強いホースで
庭中のゴミを吹き飛ばし、
一軒の手入れが終わる。


映画俳優の庭も手入れに行った。
当時の人気テレビ映画「ローハイド」で
老コック役を演じていた俳優、ポール・ブラインガ―、
彼は四十六歳で、二十七歳の奥さんと
六カ月の子供がいた。
前年、テレビ局に招かれ
日本へ行っていたので、私が行くと
ビールを飲ませてくれた。


ドリス・デイは目が合っただけで
タダのオバさんだった。