1968年のバイク世界一周旅行

その17


葡萄畑に囲まれた農園は
休日だといっても、
車がないと孤島で動きが取れなかった。
時間が有り余るほどの休日、
洗濯して時間つぶしする。


洗濯場は小屋の外にある、コンクリートの流し台でした。


日本では、ホテルなど特別な所でないと
蛇口から湯は出ない時代だったが、
アメリカではこのような農園でも
大きな蛇口から惜しみなく出る湯に
アメリカの豊かさを感じた。


洗濯物はロープを張って干すと
夏のカリフォルニアの太陽の熱射をもろに受け、
三十分もするとジーンズはスルメのように固く乾き
折りたたむのに苦労した。


老人たちと木陰で将棋を指し楽しんでいた。
また、木陰に椅子を持ち出し
バリカンで仲間同士の散髪している老人がいたので、
私も頼み、
東京オリンピック開催に向け、
急ピッチで競技場、高速道路、ホテルなど工事が進んでいることや
南海ホークスからサンフランシスコ・ジャイアンツへ入団した
村上正則こと、私が米国に来た理由などを話題に、
暑いので丸坊主にしてもらったが、
敗戦国日本の復興ぶりを聴きながら、
目を輝かせていたが、
彼は自分のことについては、何も話さなかった。


カリフォルニアの遅い夏の夕闇が訪れ、
乾燥した葡萄畑の夜空一杯に
星が鮮やかに輝き始め、さわやかな風がどこからともなく
流れ込んでくる頃になると、
昼間は何処に隠れているのか、
無数のアンパンほどの大きなガマガエルが
無言でジッと農道を覆いかぶすように我が物顔で居座っている。


週給の入っ車でた老人たちは、朝鮮老人に一ドル払い
古いフォード車で、
それをピシッ,ピシッと不気味な音を立て轢き殺し、
戦争花嫁(進駐軍と結婚し渡米、離婚した日本女性)のウェイトレスがいるデラノのバーや博打へと繰り出し、
週給を使い果たしていたが、
故郷に錦を飾る夢だけは持っていた。