1968年のバイク世界一周旅行

その4


中学生時代、エコ引きする嫌な教師がトラウマとなり、
学生時代は勉強もせず、
小中高と同級生の中でも存在感もなく、
将来の夢も描けず、大学も漠然と入り、


登校もせず映画館、パチンコ屋へ入り浸り、
閉店の「ホタルの光」の曲とともに追い出され、
疲れ切った額に脂汗をにじませ、
パチンコに夢中のため、
昼飯抜きの空腹感が襲い
小銭が残っていないかと、ズボンのポケット中を手探りしながら、
人気のない坂の夜道を、虚しく下を向いてご帰還。
そんな愚息に親は無言の抵抗。


パチンコする金がない時はボクシング・ジムで暇つぶし、
たまに試合に出るとイケメン?の顔面は腫れあがり、
遊ぶ金欲しさのバイト生活と、
絵にかいたような灰色の青春時代。


ゼミの教授に留年を告げられ、
バナナ持参(当時バナナは高級高価な果で1kg\230だった。今の価格に直す
と約\2,000)で、やっとお情けで卒業。


旅行会社にコネで就職したのが1962年。
初任給\18,000だった。
職場でも存在感はなく、わびしさと虚しさを全身で感じながら
上司の雑用係が2年も続いた。


ある日、人生は一回しかないんやで、
お前の人生このままでエエんかと
心の底で何かがささやいた。


その一言で、
今までの生活の付けが回ってきたことに愕然とし、後悔。