1968年のバイク世界一周旅行

その3


疎開先近くには
特攻隊の基地があった。
米軍機の空襲で焼け野原になった街、
食糧難で栄養失調になった子供時代、
実経験として、記憶は鮮明である。


学業成績が悪く教師に無視され、
心身とも壊されそうな制度的に
強制された義務教育という名のもと
ダダ機械的に登下校を繰り返した
嫌な日々の記憶も鮮明だ。


大学、ろくに出席もせず、
実社会へ出て行った。


就職、有名大学出の社員には入社と同時に、
明るいエリートとしての、
将来へのレールがすでに敷かれていた。


出身大学、学業成績で人生が決まるのが、
実社会の現実である。
そのレール上を走れず、引込線路へ落ち込んだ私は・・・・。


ここからBlueSpring77の一度しかない 
人生の経験が始まった。


私の経験が、あなたが人生を生きる上で、
少しでも、ヒントになれば幸いである。


若き、あの時代(1964年~68年)、
私は$100を懐に米国留学と
バイクで世界一周の旅行をした。