1968年のバイク世界一周旅行


その67


列車がハンブルグ駅に着くと、私は緊張がほぐれ
疲れがでて、ぐったりとしていた。
改札口を出ると、構内の壁に飾ってある、
小さなピカソのデッサン画が目に入った。


それは闘牛士が闘牛と戦っているデッサン画であった。
近くで見ると、闘牛は点のように、
闘牛士は、マッチ棒のようにしか、見えなかったが、
少し離れて観ると、実物を見ているような流動感
あふれるデッサンであった。
このデッサン画を観るまでは、ピカソは乱視か色盲の画家ぐらいに
思っていなかったが、
この時を境にピカソは天才だと納得した。


駅前で、ヒッチハイカーの連中にYHの場所を
聞いていると、日本人団体客を乗せたバスが停まり、
多くの若い日本人女性が降りてきた。


そして、彼女たちは革ジャン、皮ズボンのライダースタイルの
私を見ると、
「あんな服装でよその国へ行くのは日本人の恥だ」と、
私に聞こえるような声で言いながら、
軽蔑のまなざしを向け通り過ぎた。


今は、海外旅行者はラフなスタイルで出かけるが、
当時は、海外旅行は、まだ高根の花で、金持ちの子女が多く、
みな着飾ってハイヒールを履き、海外していた。
その彼女たちも、ジーンズ姿の若い外国人男性に
英語で話しかけられると、
私に取った態度とは正反対に、喜んでいた。
「日本人女性は簡単だ」と、その後、評判になったことを
もう、七十歳前後になっているだろう
ハンブルグ駅前で、すれ違った、
あの若い日本女性たちは覚えているだろうか。


スペインでトラック事故に逢い、修繕したが
バイクのハンドルが少し曲ったままで、
長時間走ると腰や肩が疲れるので、
デッセルドルフへ行き、ヤマハ・ヨーロッパ支社で
修繕、悪いところを直してもらった。


私の記憶が正しければ、1968年当時、世界にヤマハは
カリフルニア、ニュージャージー、ドイツのデッセルドルフの
三支社しかなかった。


ドイツまでは大きな事故もなく無事来たが、
これから先、インドまでの間、バイクが動かなくなれば、
修繕するバイク屋も当時はなく、
バイクを捨て、ほかの交通機関で帰国しようと思った。


バイクの修理が終わるとライン川沿いに
葡萄畑やローレライを眺めながら、スイスへ向かった。