1968年のバイク世界一周旅行

その9


ロサンジェルス空港に到着。
当たり前のことであるが、周りは皆アメリカ人。
英語が話せず、緊張で胃が痛んだ。
日本人留学生はリトル東京、日本人町のレストランで
皿洗いをして生活費を稼ぐと、
何かで読んだ記憶に従い、
うろたえ、動き回り、
やっと「リトル東京」へたどり着けるバスを見つけた。


バスは四車線、五車線もある見たこともない
広く、大きいフリーウエイを経験したこともない
スピードで走った。
大きなアメ車には、パリッとした身なりの
自信に満ちたアメリカ人がどの車にも
一人だけしか乗っていなかった。
日本は、まだ、車が普及していなかったので
この光景は驚きだった。


芝生と色鮮やかな花に囲まれた大きな住宅街。
アメリカの豊かさや、巨大なエネルギーが
肌に伝わり、アメリカに来た実感がわいた。


日本人町に着く。
ペンキが、ところどころ、はげ落ちたレンガ色の三階建ての
「Pacific Hotel・太平洋ホテル」と英語と日本語の
看板にある宿にチェック・インする。
ロビーで将棋盤を囲んでいた日系老人がカウンターへ回り
「ワン・ナイト(一泊)?四エン、ウイーキ(週)二十エン」と
まじめくさった顔で言った。
一泊$4,七泊$20のことである。


日本人町は数分も歩けば通り過ぎるような
小さな区域で、日本の昭和初期のセピア色
した写真を見るような
写真館、飲屋、土産物屋などの建物が軒を並べていた。
レストランも数軒あったが、
英語の話せない私を雇ってくれるところはなかった。
日本から持ってきた$100は
ホテル代、食事代で消え、$70に減っていた。