1968年のバイク世界一周旅行

その10


九月からの学費、生活費を稼ぐ必要に迫られ、
ホテルの日系老経営者に事情を話すと
ガ―ディナーのヘルパーは金になると言う。


ロサンジェルス一帯のアメリカ人の庭を
手入れするのが日系ガ―ディナーの生業であった。
夏場は芝生の伸びが早く、ガ―ディナーの需要も多く、
ヘルパーを雇っていた。


当時、日本の日給が約¥500であったが、
ヘルパーの日給は$15(当時のレートで¥5,400)と、
日本の稼ぎの十日分であった。
しかし、ヘルパーの経験がないと
雇ってくれないと言うので
勧められたデラノへ葡萄摘みに行くことにした。
 
ホテルの経営者の友人が営む葡萄園の電話番号をもらい、
翌日、ロスアンジェルスのダウン・タウンから
メキシコ人季節労働者で満員のグレイハンドバスに乗り込み、
250kmほど北にあるデラノへ向かった。


バスはハイウエイルート99を降り、
サーザン・パシフィック鉄道のガードを潜り 
降りる乗客もいない
デラノのバス・ターミナルに着いた私は
葡萄農家に迎えの電話をした。


暑い夏の午後だった。
道路には人も車も見かけなかった。
ただ、古い建物のレストランの前には、
時代物の車が二、三台駐車しており、
映画「俺たちに明日はない」を思い出すような風景が
そこにあった。


デラノ一帯はスタインベックの小説や映画で有名な
「怒りの葡萄」や「エデンの東」の舞台になったところで、
デラノは広大な葡萄畑に囲まれた小さな町だった。