1968年のバイク世界一周旅行

その11


昨日(2017年5月19日)は、
カッコよく言えば、
私がバイクで世界一周へロサンジェルスを出発して
50周年の記念日だった。
しかし、そんなことなどすっかり忘れ、友人と五月晴れの下で
ゴルフを楽しんでいた。


話を元に戻そう。
デラノのバス・ターミナルで、三十分ほど待っていると
小型トラックが止まり、四十代後半の浅黒く日焼けし、
長い髪を後ろに束ね、白シャツにジーンズ、セミ・ブーツ姿の健康的な日系女性が笑顔で降りてきた。


彼女はロサンジェルスのホテルのオーナと、
戦争中マンザナの強制収容所で知り合った友人で
その朝、彼から私のことを頼むと
電話があったと英語訛りではあるが
綺麗な日本語で言った。


私を乗せた小型トラックは
デラノの町を出ると
地平線まで広がる葡萄畑の農道を
二十分ほど走り、葡萄畑に囲まれた大きな敷地の
建物前で停まると、
待ちかねたように、作業着姿の葡萄農家の主人サムが
建物から出てきて、日本語でにこやかに私に
手握手を求めてきた。


建物は住居と事務所を兼ねていた。
事務所では三人の若い女性が事務を執っていた。
その横では、労働者を監督する
中年のジョージというサムの弟が
ソファーで新聞を読んでいた。


ホテル・オーナーの話では 
仕事は、実った葡萄をハサミで摘み、
箱詰めする出来高制で夏休み中、二カ月も働けば
日本の年収に匹敵する$700(¥252,000)は
稼げると言っていた。


しかし、葡萄の収穫期が遅れ
二週間ほど葡萄棚の手入れを
するはめになった。
時間給「一エン十五セン」と、サムは言った。
彼も「ドル」を「円(エン)」と表現した。
収穫期の遅れと聞いて、ショックだったが、
葡萄の熟するのを待つしかなかった。