1968年のバイク世界一周旅行

その13


私の小屋には先客がいた。
日本語は少しわかるという
七十歳ぐらいの朝鮮人で、
数日前、小屋の入り口の階段を踏み外し
足を怪我したと言い、包帯をぐるぐる巻きにして
ベッドで横になっていた。


彼は子供の時、
父親とアメリカへ密入国、
季節労働者として
カリフォルニア各地の農園を
季節労働者として転々としていたようだ。
正規の移民でもなく、年金ももらえず、
今も働いていると言った。


この農園の一日は「カン、カン、カン」と
鉄板を叩く音で始まった。
朝5時である。 
7月、カリフォルニアは夏時間で、
冬時間なら4時である。


外は日本の晩秋のように寒かった。
サムがそろえてくれた作業着を着て
事務所の隣にある百人程は座れる
ほどの大きな食堂へ出かけた。 


コックは静岡から移住した三十代の男性で
賄いは彼の妻とサムの妻がやっていた。


収穫期が遅れているためか、
食堂では十五、六人の日系労働者が
朝食を摂りながら雑談したり、一日遅れで配達される
日系新聞を読んでいた。


サムの奥さんが私を彼らに紹介した。
彼らは、皆、六十を越した老人だった。
若者は私だけだった。


朝食のメニューは日本では食ったこともない
オレンジ・ジュースにトースト、ハムエッグ、ベーコン
それにコーヒーと贅沢なものであった。