1968年のバイク世界一周旅行

その78 彼女は、当時、英国で五本の指に入るという 画家の奥さんであった。 画家の主人は四十歳半ばで、あごひげを伸ばし、 麦わら帽子に半ズボン姿で、ヨットの甲板をホースで洗っていた。 奥さんは、いかにも関西の中年オバちゃんという、いで立ちで、 ヨットにロープを張り、洗濯物を干しながら、 我々に声をかける、気さくな画家夫婦であった。 彼女は大阪出身で、主人の国、英国住まいだと言った。 「ヒドラは景…

1968年のバイク世界一周旅行

その79 中近東への出発 ヒドラ島からアテネのYHに戻った翌日、 横浜のKがドイツで買ったという中古車ワーゲンに 二人の日本人学生を乗せて着いた。 ドイツで知り合った三人は意気投合して この中古車でインドまで行くと言った。 イスタンブールへ出発する日が来た。 そのころヒッチハイカーの間ではイスタンブールで ドイツ人ヒッチハイカー二人殺されたとか、 スイスの若者が行方不明になっているとか、噂が広ま…

1968年のバイク世界一周旅行

その80 イスタンブールに着いた。 この町はボスボラス海峡を挟んで ヨーロッパとアジアの二つの雰囲気に囲まれたところで、 モスクやバザール、ヨーロッパ人とアジア人と、 ヨーロッパとは、また、違った雰囲気、景色というか、 アジア的匂いを持った町であった。  この雰囲気は、ユーゴから山越えをしてギリシャへの途中、 今のコソボを抜けたときも、その一帯では白人とは違うアジア人的 顔をした人々を目にした時…

1968年のバイク世界一周旅行

その81 雨と寒さのトルコ横断 ヨーロッパ側とアジア側に挟まれた ボスボラス海峡には、まだ橋は架かっていなかったので、 フェリーで渡りアンカラを目指した。 車もほとんど走っていない、トルコ高原を東へ一直線に 貫いている道路を気分良く走っていると、 突然、牧草地から牛がゆっくりとした足取りで 道路へ入り込んできた。 急ブレーキをかけると、後ろに乗っている ボディガード君もろとも横転する危険があった…

1968年のバイク世界一周旅行

その82 季節は10月末になっていた, 黒海沿岸の町サムソンに 近づくにつれ雨風が強くなった。   黒海沿岸の風景は、冬の日本海沿岸のように鉛色に覆われ、 海は荒れ、びしょ濡れの私は、寒さに震えながら走った。 サムソンから黒海に沿って東へ、トラブゾンまで約340キロ、 対岸はソ連かという感慨を抱く余裕もなく、 トラブゾンから内陸部のエルズルムまで、 朽ち果てた空き家を見つけては雨宿りし、 空家の…

1968年のバイク世界一周旅行

その83 砂漠と強盗のイラン・アフガニスタン越え イラン・トルコ国境でハシシ(麻薬の一種)を所持していた ヒッチハイカーが逃げようとして、 イラン国境警備兵に射殺されたと聞いていたが、 粘土造りのイラン国境検問所の、簡素な部屋で簡単な入国手続き終えると、 私は兵士たちに紅茶やタバコなど、 親切なサービスのもてなしを受けた。 晴れた日にはイラン国境検問所から40キロほど北の アルメニアが見えるそう…

1968年のバイク世界一周旅行

その84 テヘランから東へ走り出す。 目指すはアフガニスタンである。 テヘランの町を一歩郊外に出ると あの近代的な都市がウソのように、 そこから先は水平線まで砂、砂だけの砂漠であった。   この先、本当に町がるのだろうかと不安になった。 確かめるために地図を広げると、 ボールペンでなぞったような線の所々に アラビア文字で、町らしい名前が印刷されている。 未知の世界へ突入する私には、それがどの規模…

1968年のバイク世界一周旅行

その85 悪戦苦闘しながら、どれくらい走っただろうか。 砂道の脇に屋根を太陽を遮るように、 むしろで覆った小さな掘立小屋があった。 周りには、この小屋以外、建物はなかった。 何となく「食堂」のような感じの掘立小屋であった。 私はバイクを停め、中にいたターバンを巻いた 中年男に確かめると、 「レストラン」だと言った。 たしかに、小屋の中にはうっすらと砂埃をかぶった、 テーブルと長椅子があった。 手…

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その86 イギリス、ドーバーのフェリー乗り場で、手に入れた 詳細な地名が記載されていない地図であったが、 イランの砂漠を走っていても、必ず100キロ以内に「食物屋」と 「油屋(ガソリン・スタンド)」があることを知った。 砂漠では、イスラム教の式典に使われたものであろう思われる 古い煙突のような塔をよく見かけた。 中に二本並んで建てられたものや、 傾き今にも倒れそうなものもあった。 集落があれば、…

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その87 物の本などを読むと、シルクロードは崇高なものと 表現されているが、 私にとっては、ロサンゼルスからインドまでの、 過酷な道に過ぎなかった。 来る日も、来る日も、砂漠の砂塵を浴びながらの過酷な道で、 書斎でおいしいコーヒーを飲みながら、シルクロードの本を読み、 シルクロードを想像する人とは違い、 私にとっては、どこが、どう素晴らしいのか疑問であった。 しかし、私がたどった砂漠の道の半分は…

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その88 体を洗ったのは、テヘランの街角の水道で洗ったのが最後、 水のない砂漠では、一週間も体を洗わない日があった。 慣れとは、恐ろしいもので歯も磨かず、体も洗わない、 茶店ではハエがティ・コップの周りに群がり、 ティとともに飲み込んで、それを吐き出すことが、 当たり前のようになったが、 いつの間にか、気持ちが悪いという感覚がなくなっていた。 茶店で飲む不衛生な飲み水のせいか、 いつも下痢をして…

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その89 テヘランではめったに見かけなかったが、 メッシャドの女性はほとんど頭から足の先まで すっぽり黒い布(チャルド)で覆っており、 顔の判別も出来なかった。 近くで見るとチャルドは、思ったより厚めの布でできており、 暑くないのかと、他人事ながら気になった。 いよいよアフガニスタン入りである。 アフガニスタンと国境を接している イラン国境警備隊の建物前の広場に、 ヒッピーらしき十数人のヨーロッ…

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その90 無法地帯のに住む、アフガニスタンの人々は銃を作るか、 カードなどギャンブルをするしか、 収入源がないとその若者は言った。 危険だから、暗くならないうちに、 この無法地帯を離れた方がいいという 彼の忠告に従い、急ぎその場を離れることにした。 走りながら高台に目を向けると、十代前半と思われる少年たちが、 いたるところで銃を抱え見張りをしていた。 アフガニスタンは砂漠の国であるが、 周りは高…

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その91 いつものことであったが、 集落に入り道端で休憩していると、 バイクや外国人である私が珍しいのか、 子供や何もすることがないのか、大人までが私を見世物のように 遠巻きに囲み眺められた。 日本でも江戸末期から明治初期、 外国人が日本の地方を旅していると 同じように、子供や大人までもが、その外国人旅行者を囲み 珍しいのか、眺めたていたそうだだから、 それと同じようなものだった。 そのうちに、…

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その92 西のヘラートから南へ、米国の援助で作られた砂漠のハイウェイを アフガニスタン第二の都市カンダ―ルへ向かった。 そこから北へ向かうと首都カブールである。 当時、私が乗っていた乗っていたヤマハYM1のバイクは ガソリンとオイルを混ぜた「混合」が燃料であった。 イランでは「混合」の給油の場所もわかるようになり 困らなくなっていたが、 アフガニスタンではガソリンは何とか手にはいたが、 オイルが…

1968年のバイク世界一周旅行

その93 通過した中近東の国々では、トイレを借り、 日本語の新聞を読むため、必ず、日本大使館を訪れた。 これらの国々では、現地の建物や暮らしぶりに比べ、 日本の大使館は立派すぎ、 私が強盗に襲われたのも無理はないと思った。 空っ風が紙くずや砂塵を舞い上げる、カブールの市内の道路は 舗装がはがれ、自家用車などほとんど見かけず、 古いバスやトラック、馬車が目立ち信号もなかった。 ほとんどの商いは露店…

1968年のバイク世界一周旅行

その94 インド国境 入国不許可 イラン、アフガニスタンと砂漠地帯を走ってきた私は、 一応、町も区画され道路も整備され、 街路樹もあるペシャワールに着いたときは、正直ホッとした。 ペシャワールよりも驚いたのは、 パキスタンの首都イスラマバードの町だった。 1961年から建設が始まったという この巨大な政治都市の道路は升目状で幅も広く、緑で覆われ、 近代的な建物と建物の間は、たっぷりとゆとりを持た…

1968年のバイク世界一周旅行

その95   私のバイクは傷みが激しく、売れるようなバイクでなく、 一瞬、パキスタン・インド国境で捨てようかと思ったが、 ロサンゼルスからインドまで走ってきた バイクに愛着が湧いてきた。 そこで、インド国境係官の責任者に強引に会わせてもらい、 再交渉することにした。 すると、この責任者は、私がパキスタンの日本大使館へ行き 「このバイクは日本へ持ち帰るものであることを保証する」という お墨付きをも…

1968年のバイク世界一周旅行

その96 ボンベイ 走行三万キロ インドに入ると道路には人と白い牛があふれ、 思うようなスピードで走れなかった。 茶店で休んでいると、ボロボロの衣類をまとった大人や子供が バイクを囲み、何か雰囲気のおかしい動きをしているのが目に入った。 私は飲みかけのティを置き、バイクへ走って戻ると、 彼らはバックミラーを引きちぎって、散るように逃げ始めた。 そこへ一台の車がスピードも落とさず、私のバイクから逃…

1968年のバイク世界一周旅行

その97 タージ・マハルで一人の日本人ヒッチハイカーから 12月15日、日本行きのフランス客船が ボンベイ(現ムンバイ)に入港する情報を得た。 旅の途中で、ボンベイまで行けば日本行きの船があると 聞いていたからボンベイを目指していたが、 その船の入港日までが確実だと知り、 今までは、ただ、日々のバイク旅行を続けていたが、 それまでは感じなかった帰国という現実味に 嬉しさが体中を駆け巡った。 アグ…